In other words

I really don't know life at all ...

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パスポートの非ヘボン式表記が市民権を得たことに、国際結婚が増えたことを改めて実感した件。

先日、次女のパスポート更新のため、久しぶりに有楽町のパスポートセンターへ行った。

いつも新宿のパスポートセンターへ行くことが多かったのだけれど、帰りに銀座でお買い物ができるなと有楽町の交通会館にあるセンターへ行くことにした。

有効なパスポートさえあれば、住所や姓の変更などない限り、更新に必要なのは写真のみだ。あとはパスポートセンターで申請書を記入すればOKなので、特に準備は必要ない。

パスポートセンター入口にある旅行グッズなどが販売されている「トーコー」で写真を撮ることにした。
ここは長女、次女共に初めてパスポート写真を撮ったお店だ。当時は一人で座ることもできなかった赤子であったのだけれど、スタッフの方がしっかりと紐で固定して、上手に写真を撮ってくれたものだ。

あれから20年、今は一人でいそいそと髪型などをチェックしながら、「これはNG、もう一度お願いします」などど言いながら写真撮影をしているのだ。月日が流れるのは早いものだとしみじみしているうちに写真が出来上がった。

もう成人しているのだから、パスポートの更新もわざわざ親が同行する必要はない。
普通ならそうなのだけれど、私は20数年前のすったもんだを思い出すと、万が一イレギュラーな事態にでもなったら、とても一人では無理ではないかと、ついつい心配になってしまうのだ。
過去に長女も含め何度か更新はしていて、特に問題になったこともないのだけれど、それでもトラウマなのか心配になり、今回もまた念の為について行くことにしたのだった。



あれは二十数年前のこと。初めて長女がパスポート申請をしたときのことだった。

申請書にローマ字で氏名を記入したのだけれど、いざ窓口に提出すると、「ヘボン式で書いてください」と言われた。

ヘボン式は日本式の発音をそのままローマ字に当てはめるのだけれど、ちょっと説明が面倒なので、詳しくはWikipediaなどを見てほしい。
わかりやすく例を上げれば、例えば「TOM」という名であったとしよう。これをヘボン式にすると「TOMU」となる。
OLIVIA」なら「ORIBIA」だ。。。

もはや別人の名前と言ってもいい。

我が家の子供達もこれと同じパターンで、ヘボン式にすると「これはどこの子だ?」というおかしな綴りの名前になる。
日本人である私でさえも、「これはいくらなんでも。。。」と思ったのだから、外国人の夫からしたら、とんでもないお話だ。「こんなおかしな名前があるものか!」と、大騒ぎだった。
いくら騒いだところでお国の決定事項を容易に覆す事はできない。
それでもどうにかならぬものかと、食い下がる夫。
どんなにゴネてもダメなものはダメなのである。納得いかない夫をその場から引き剥がし解決策を申し受けることにした。

ヘボン式とするための方法は一つ。
公的な証明書の提示だった。
公的な証明書と言っても、産まれて半年も経っていない赤子だ。これが海外で生まれた子供なら、その国の出生証明などを提示すればいいのだろうけれど、我が家の子供達は日本で生まれたのだ。公的証明書は全て日本語で、ローマ字表記の証明書などはなかった。

さて、どうしたものかと考えるために、一旦は退いた。しかしヘボン式表記はなんとしてでも回避しなければいけないことだけは確かだった。



夫の国へ出生届けを出した上で、証明書を発行してもらうしか手がないか?
そうなると必要書類を集めて送ったりと面倒も多そうだ。しかも時間もかかるだろう。
なるべく面倒なことはしたくなかったので、夫の国の大使館へ行って相談してみることにした。

ヘボン式表記について、「こんな名前になってしまうんですよ!」「おかしいでしょ?」などとかなり熱を込めて訴えたことが功を奏したのか、それならばと証明書を発行してくれたのだった。
大使館というのは現地で暮らす自国民のために働いてくれている!
ちょっと感動したものである。

余談ではあるけれど、海外にいる日本大使館員も同じだ。まだ私が20代の頃、かなり治安の良くない国へ出かけた時だった。たまたま機内で大使館にお勤めの方から声をかけられた。
日本人の若い女の子が一人で⁉︎と、かなり驚いていて、心配になって声をかけてくれたのだ。
現地に知人がいることを話すと、空港の中でさえも危険だからと、迎えが来るまで一緒にいてくれた。
迎えにきた知人に二、三質問した後、何かあったら必ず連絡しなさいと、連絡先を渡してくれたのだった。
幸にしてなにもなかったので、その方とはそれきりになったけれど、非常に心強く思ったことだけは覚えている。

顔も名前も思い出せないけれど、あの方はもしかしたら今頃外務省のお偉いさんにでもなっているかもしれない。。。
彼の異国の地での行いは、叙勲を受けるに相応しい仕事ぶりであったと私が証明しよう!



話をパスポートに戻す。
結局、必死の訴えでなんとか夫の国の大使館から正しい英語名の入った公的証明書を発行してもらうことができた。

それを持って再び有楽町の交通会館へ。
散々すったもんだしたので、職員の方もよく覚えていて待ち構えていたようだった。
大使館からのレターを見せると、それはそれは大喜びしてくれたものだ。
ようやく非ヘボン式問題クリアーである。

もう一つ、普通の日本人と違っていたのは、ミドルネームがあるということだった。
日本の戸籍にもそのミドルネームは記載されているのだけれど、これがまた少し厄介なのだ。
戸籍謄本には[姓 名名]とミドルネームもくっついて記載されているのだけれど、英語表記になると[姓 名 名]となる。当然パスポートの表記もミドルネームとファーストネームの間にスペースを入れてもらわなければいけない。

ここでもまた申請書にどう記入していいのか混乱した覚えがある。ただ、鮮明には覚えていないので、ヘボン式よりは簡単に解決したのだろう。

何人もの職員の方が集い、ああでもないこうでもないと、我が子のパスポート申請に尽力してくださった。当時はまだ外国名を持つ日本人も多くはなかったのだろう。前例が少なければすんなり行かなくて当然だ。

申請書への記入をようやく終えると、職員の一人が苗字の後に()をつけて父親のファミリーネームを入れては?と提案してきた。
そのようなことができるとは、当時の私は知らなかった。
職員の方曰く、日本のパスポートで父親の国へ入国する際に、家族関係を証明する一つの手段となり得るということだった。

ヘボン式ですったもんだした後のことだったので、そのようなはからいをしていただけるのかと意外に思ったものだ。
もちろん私に依存はなく、言われた通り素直に夫のファミリーネームを加えていただいた。

今でも私も含め子供達のパスポートには夫のファミリーネームがカッコ付き記載されている。

最後の最後、ようやく申請書が受理された時、職員の方から言われたことは今でも忘れていない。

「どうか、このパスポートは常に有効にしておいて下さい。これが公的に名前を証明するものになりますから。失効させないように更新し続けて下さい」

20年以上経過した今でも、私はその言いつけをしっかり守っている。



長女の時に大変な思いをしたので、次女のパスポートを取得する際は、あらかじめ大使館で同じように証明書を書いてもらった。
一度とことん大変な思いをすると、忘れないものなのだ。次女のパスポートはすんなりと発行してもらえたけれど、あの最後の言いつけ通り、次女のパスポートもまた切らすことなく更新し続けている。

今回更新に同行し感じたのは、今は昔ほど大変ではなくなったということだ。窓口で対応する職員の方を見ていても、昔とはまったく違う。
それだけ国際結婚も多くなり、イレギュラーな申請も多くなったということなのだろう。

若い人はどんどん海外へ出て、学校へ行ったり、就職する人も今では珍しくない。そうした中で出会った人生の伴侶が外国人になる可能性は十分にある。

日本国内にいても街を歩けばミックス(ハーフ)をよく見かけるようになったし、モデルやタレントなどもたくさんのミックスが活躍している。

英語の名前を有する人の数も昔とは桁違いなのだと思う。

そんな時代の流れもあるのか、パスポートセンターの窓口でも、なにか特別に質問されることもなく、すんなりと申請を受理されたのだった。

今でも非ヘボン式表記にするためには、出生証明書など公的な証明書が必要なようだけれど、昔と違ってマニュアル化されているのかもしれない。
職員の方ですらどうしていいのか半信半疑、あちらで聞き、こちらで調べてといった昔に比べれば、すっかり慣れきっているように見受けられた。

次女場合は新規の発行ではなく、更新手続きだったので、すんなりと終わったのかもしれないけれど。。。

いずれにしろ、こんな背景もありパスポートに関しては万が一、問題が発生しては困ると同行したものの、私にはまったく出番はなかった。

ただ、証明写真を撮影したり申請書を書く次女の横で、「暑いわね〜、暑くない⁉︎」と首から流れる更年期による汗を拭っていただけ。
まるで過干渉な鬱陶しい母親なだけであった。。。

パスポートセンターを出た後、地下の喫茶店でランチをしながら、次女には「今後、パスポートは自分で管理するように」と伝えた。
そして、あの日職員の方に言われた「決して失効させてはならぬ」ということをうんざりするほど繰り返し言い聞かせたのだった。


届いた郵便物はどんなものでも着いたらすぐに開封して確認すべきと思った件。

少し前のこと。
終日外出して帰宅すると、いつものように郵便受けには封書やハガキ、チラシがたくさん入っていた。
チラシの類は近所にあるエステやスポーツジム、不動産関連のものがほとんどで、たまにインターナショナル幼稚園の案内やネットスーパーの割引案内なども混じっていたりする。そんなチラシをまとめて資源ごみ用の紙袋に収めたあと、残った手紙類の差出人を軽くチェックする。

いつも銀行や保険会社からのDMや、会員になっている商業施設やブティックからの案内ハガキがほとんどなので、急いで目を通す必要はない。暇な時にでも一応目を通せばいいだろうと思っていた。

つい最近もそんな風にして、届いた封書をまとめてダイニングテーブルに置いておいた。
3日後くらいになり、終日在宅でたっぷり時間もあったので、ようやく一通一通を開いてみた。
ほとんどは詳しく読むまでもなく、必要なしと破棄する類のものだったのだけれど、銀行からの封書を開いてみたとき、ちょっとドキリとした。

「ローンのご案内」のようなDMだと思いこんでいたそれは、クレジットカードが不正に使われる可能性があるという注意喚起の連絡だった。

問題のクレジットカードは、かれこれ30年以上も前に銀行口座を開設するのと同時に作ったものだった。
そのためカード会社からではなく、銀行経由で封書が届いたようだ。
私は現在、他社のクレジットカードをメインに使用しているので、そのカードはほとんど使っていない。その代わりに夫と子供達に家族カードを発行して使わせている。

クレジットカード会社では、不正利用を未然に防止するため、あらゆるシステムで網を張り、少しでもイレギュラーな動きがあれば、すぐに対処して不正利用を阻止しているというようなことが書面には書かれていた。

そして今回、私名義のクレジットカード、正確には長女に使わせているカードから不正利用される可能性が検知されたということだった。

銀行からの手紙には、現在使用中のクレジットカード番号の変更を推奨すると書かれていて、その同意書が同封されていた。

長女は毎月ネットで何十万もお買い物をし、海外通販を利用することも多い。あれだけの頻度でショッピングを繰り返していれば、それだけリスクも高くなるのは想像に難くない。

長女にはすぐ事情を説明し、当該カードの使用をストップするように連絡をした。
そして銀行が送ってきたカード再発行の同意書に記入して返送したのだった。



今はクレジットカードをはじめ、ほとんどの支払いはキャッシュレスになっている。
先日もタクシーに乗った際、支払いに現金を差し出すと、運転手さんから「珍しいですね」と言われた。
そんなに現金支払いする人が少ないのかと少し意外に思い尋ねたところ、「今日はほぼ9割の方がキャッシュレスでしたよ」と。
知らなかった。。。海外ならいざ知らず、日本国内においてもそれほどキャッシュレス化が進んでいようとは。

実を言えば、私も以前はほとんど支払いにクレジットカードを使用していた。
その方が楽であるし、ポイントやマイルも貯まるのでお得だと思っていたのだ。

しかし昨年から現金支払いをメインにするようになった。
そのきっかけは、限度額オーバーで使用できなくなった経験をしたからである。
その辺りの経緯は以前、サブブログに書いたのだけれど、夫と長女が家族カードを使いまくった挙句、2枚のクレジットカードが限度額をオーバーしたのだ。
これにはかなり怒り心頭であったのだけれど、その際に仕方がないのですべて現金支払いをするようになった。

そこで気づいたのが、クレジットカードよりも現金支払いをしていた方が、無駄遣いが少なく、支出が減るということだったのだ。

金離れがいい割にはケチンボという、バンバン使うけれど、後から「もったいなかった。無駄をしたな」などど考えるような人間なので、自然と無駄が省けたことで大層気をよくしたのだった。

以来、実店舗でのお買い物は百貨店でもスーパーでもコンビニでも、また飲食店やお菓子屋さん、タクシーなどもすべて現金で支払いをするようにしている。

さすがに3万円以上の支払いとなると、ポイントも大きくなるので惜しい。なによりも元々お財布にはそれくらいしか入れていないので、すべて遣ってしまっては心許ないとカードを使用する。
そしてネットでのお買い物は、わざわざコンビニや銀行へ振り込みに行くのも面倒なので、こちらはクレジット決済にしている。

現金主義でもクレジットカードは必要不可欠ということだ。

そんなクレジットカードをどこぞの誰とわからぬ輩に不正利用されるなど、あってはならないことだ。
まだされてはいないけれど、考えただけで腹立たしい。



銀行もクレジットカード会社も、よくぞことが起こる前に防止策を提案してくれたもだと感心する。
ちなみに、クレジットカードを再発行して不正利用を未然に防止するという今回のお知らせは、あくまでも推奨ということで、今のカードのままで問題なしと思えばそのまま継続してカードを使用できるというものであった。

しかし「あなたのクレジットカードが不正に利用される可能性を探知しました!」と言われて、「いやいや、そんなの平気でしょ?」と思える人が果たしているのだろうか。。。

私はそのような「可能性」を考えただけでも、「どうしてそんな悪いことするのよ!」とイライラする。
楽して美味しい思いをしようだなんて、人生そんなに甘くない。因果応報、天罰がくだるわよ!などと勝手に怒りをたぎらせる。
無駄なストレスだと思うけれど(笑)

可能性だけでそれほど怒るくらいなので、この銀行からのお知らせを3日も放置してしまったことが悔やまれるのだ。

仮にその3日間の間に、どこかに潜んでいる悪い輩が事を起こしているかもと想像するだけで、さらに口惜しさ倍増だ。

今のところ、そんな兆候もお知らせもないけれど、とにかく一日も早く対処すべきであったと後悔している。

「今できることは、今やるべき」
そんな言葉に、私はよくふざけて「明日でいいことは明日やればいい」と言っていた。少し冗談めかして言っているけれど実は本心だ。
明日でいいものをなぜ慌ててやる必要がある?
「今できるけど、明日でもいいなら明日やればいいでしょ」といった具合だ。

本心ではあるけれど、本当は「今できることは今やる」方がいいのはわかっているのだ。
一寸先は闇というように、明日やるつもりでも出来る保証はない。だからこそ「今できることは今」なのだ。それをあえて「明日でいいことは」と言うのは、ただ単に面倒くさいから。それだけの理由だ。

とにかく面倒なこと混み合ったことが嫌いなものだから、なんでもかんでも簡単、シンプルを求める。
それはいいこともあるけれど、悪いことも同じようにあるのだ。
今回も「手紙など別に、いま目を通さずとも困りはしない」と放置していたけれど、蓋を開けてみれば(封を切ってみれば)、すぐにやればよかったという案件であった。

生活の全てを「今できることは今!」とばかりにストイックにはなれない。本来の面倒くさがり屋という性分がそれを許さないのだ。
しかし、今回のようにそれが原因で不正利用されようものなら、悔しさで夜も眠れなくなることだろう。
私は面倒くさがり屋以上に悔しがり屋なのだ。
悔しい思いをしてストレスを溜めるくらいなら、面倒でも少し気をつけようと思う。

幾つになっても日々学びだ。人によってその学びがいつ訪れるかはまちまちなのだろうけれど、私は人生半ばを過ぎて多くの学びが訪れているようだ。。。

届いた封書にはすぐ目を通す。

努力を怠らず頑張ってみよう。

diary.hw-frankie.com

成人した娘の同級生のママがベビーカーを押していたことに驚愕した理由。

買い物へ行った帰り道、次女が小学生だった頃のクラスメートのお母様とバッタリ出くわした。

そのお母様、ベビーカーに小さな子供を乗せていた。お孫さんかしら?と思ったものの、お嬢さんは成人したばかり。ベビーカーの中の子は2歳くらいだろうか。ずいぶん早くに結婚、出産したのだなと思っていたら、違っていた。。。
聞けば、その子はお孫さんではなく、彼女自身のお子さんだという。

私よりもかなり若いお母様だけれど、40代半ばは過ぎているはずだ。
今は高齢出産も珍しくないので、驚くようなことではないけれど、そのお母様の場合はすでに二人の子育てをようやく終えたところなのだ。
二人の子供を育て上げたあと、さらにもう一度同じことをする気概に、私はなによりも驚いてしまったのである。

子育てはなかなか楽しいものであったし、産み育てて本当によかったとは思うけれど、私はもう二度と同じことはしたくない。それほど出産と子育ては大変だった。

私も30代で二人の子持ちとなった。20年以上も子供、子供の生活をしたのち、今は二人とも成人した。ようやく私はその責任から解放されたのだ。
子育てから卒業できたと思った時の解放感といったら、筆舌に尽くしがたい。。。重たい足枷が外れて自由になったことを感じたものだ。

「足枷」とはかなりネガティブな表現で適当ではないかもしれない。自分が望んだ子供なのだから、そのような言葉を使うべきではないのかもしれないけれど、常に自分の身体に二つのコブをくっつけていると思うとそんな表現になってしまう。
とりわけ子供達が小さな頃は、食事をするのもお風呂に入るのも、買い物へ行くのも、とにかく両脇に子供を抱えて暮らしていた。
ようやく手が離れたと思ったら、今度は教育費という重たい荷物を背負うことになる。
そんなことを20年以上も続けるのだ。理屈ではなく、子育てとはそれほど長く大変なことなのだ。



いまは、少子化による子育て支援が度々話題になる。
SNSなどにアップされる呟きを見ると、悲痛な言葉ばかりが目に入る。
自身の子育てしていた時代はどうであったか思い出してみると、政権交代により子供手当だか児童手当だか名前は変わるは、その額も増えたり減ったり、扶養控除も途中からなくなったり、変化の激しい時期であった。
高校無償化などがようやく実施されたものの、所得制限にかかり恩恵なしと、納税した額を考えると、働き損だと思ったものだ。
当時はかなり不満に思っていたけれど、SNS世代ではなかったせいか、ママ友ランチの席で軽く話題に登る程度だったと記憶している。
最初からお国からの援助など期待していなかったのだ。

それでもまだ、今ほど経済が冷え切っていたわけではなかったので、働けばお金は入ってくると希望が持てた時代でもあった。

少し前に昨年1年間の家計簿の集計をしたのだけれど、1年間の教育費が二人で350万ほどかかっていて大層驚いたものだった。

二人とも大学生で、長女は私立の文系なので理系に比べればまだ学費は高くはないのだろう。次女は国立なのでかなり学費は軽減されるのだけれど、入学金やその他諸々の納入金が嵩み、そんな額になったのだ。

周りのお友達などに尋ねてみれば、これは決して高額ではないという。
それこそ私立の理系などに子供二人通わせると考えたら、どれほどになったことか。さらには医学部などになったら、もはや普通のサラリーマン家庭では到底払える額ではなくなる。

今の若い子育て世代の方が、共働きで頑張るのも当然だ。給料が上がらないだけでなく、物価は上がる一方。子供がまだ小さな頃はいいけれど、中学、高校、大学と学費は桁外れに増えていく。
公立校を選択すればいいとか、高校無償化があるという声もあるけれど、それが無理なケースだってあるのだ。

例えば、子供自身、学びたいことが明確で、その分野に特化した私立校を希望する場合は親心としてなんとかいきたい学校へ行かせてあげたいと思う。
高校無償化に関しても、所得制限ありきなので、親が頑張れば頑張るほど蚊帳の外に置かれることになる。つまり学費全額自腹ということだ。

自分が望んで産み育てている子供なのだから、夫婦2人の力で育てよう!と、夫とは励まし合ったものだけれど、受けられるものであればどんなに助かっただろうかと、今でも思う。

世の中の親は誰もがこのように大変な思いをして子育てしてきたのだと思う。「親になる」ことが自分の選択とはいえ、これほど茨の道とは。

このようなことを言うと少子化を加速させそうだ。。。
大変なだけでなく、それを上回る喜びもあると、付け加えておくことにしよう。
子供達のおかげで、夫は「稼ぐぞ!」と力をもらえた。そのおかげで家族は何不自由なく暮らすことができた。
なにより無条件に可愛い自分の子供達がいつもそばにいてくれることで、暮らしが幸せに彩られたことは間違いない。
どんな茨の道でも、それを薙ぎ倒してでも進む力を与えてくれるのが子供達の存在だったのだ。



そんな子育てももうすぐ終わる。
学費は次女1人分払えばいいので学費だけなら年間60万程度で済む。これまで毎年、何百万単位と支払い続けてきた学費という怪物ももはや虫の息だ。
長女はもう自立をしているし、次女も得意分野を活かし、バイトで好きなものを買ったり遊んだりするくらいの収入はある。
もう、子供にはお金がかからないのだ。

先日、久しぶりに家族旅行へ出かけた時、夫と次なる人生をどう過ごしていくかを話し合った。
夫はまだ50代なので、これからもまだまだ働く気満々なのだけれど、これまで子供達のために費やした時間とお金を、今度は自分たちの人生をより充実させることに遣おうと、珍しく意見が一致した(笑)

住む家も暮らしもギュッと縮小して、日々質素にこじんまりと、そして年に何回かは旅行へ行き、新しい体験を楽しみながらゆったりと暮らそうということだ。

第二の人生を具体的に考える年齢になったとき、偶然にも小さな子供を連れた件のママに会ったものだから、とにかく驚いてしまったのだ。

その同級生ママのご家庭は、かなり裕福なので子供一人増えたくらいでは、学費が大変だのどうのと、私のように大騒ぎする必要はない。
ただ、どんなにお金があったとしても、私は二度と繰り返したくはない。

私が一番欲しいのは、お金よりも自由なのだ。
自分も歳をとり、身体も当然若い頃と同じではない。子育てにあくせくする体力はとうに失われている。
なによりも自分中心の気ままな暮らしを捨てようとは思わない。

ようやく自由の身になったのだ。起きるのも寝るのも、食べるのも、どこかへふらりと出かけるのも、全て自由なのだ。
まるで独身の時のように、自分の気持ちの赴くままに暮らせる今を、どうして手放せようものか!

私の周りの友人達はみんな同じような考えの人ばかりだけれど、ひょっとしたら、「子供の手が離れて寂しい。もう一度子育てをしてみたい」と思う人もいるかもしれない。
もしかしたら、その同級生ママもそんな感じなのだろうか。。。そう思ったら、少し事情は違っていたようだ。

娘に聞いてみたところ、なんとその同級生ママは離婚したのちに、20歳近く若い男性と再婚したそうな。。。
そんなに若い男性と結婚、出産というのも驚きだけれど、なによりも「また他人の下着を洗濯する生活に戻るのか⁉︎」と、その方が驚きだった。
もしも私が一人になったとしたら、もう二度と結婚はしたくない。妻の役割も母の役割も一度卒業したら終わりだ。

結婚生活は一生に一度経験すれば、私にとってはそれで十分だと思っている。
夫といえど他人だ。他人と暮らすことは、よいこともあるけれど、大変なこともある。
特に私は外国人と結婚したため、そう思うのかもしれないけれど。。。

人それぞれ、幾つになっても違うものだなと思った。似たような経験をしても、その捉え方は千差万別ということなのだろう。

人様の選択にとやかく言うつもりも権利もない。ただ、20年以上に渡る子育てを思い返すと、「あの日々を再び⁉︎」と、ただただ驚愕したのだった。