In other words

I really don't know life at all ...

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成人した娘の同級生のママがベビーカーを押していたことに驚愕した理由。

買い物へ行った帰り道、次女が小学生だった頃のクラスメートのお母様とバッタリ出くわした。

そのお母様、ベビーカーに小さな子供を乗せていた。お孫さんかしら?と思ったものの、お嬢さんは成人したばかり。ベビーカーの中の子は2歳くらいだろうか。ずいぶん早くに結婚、出産したのだなと思っていたら、違っていた。。。
聞けば、その子はお孫さんではなく、彼女自身のお子さんだという。

私よりもかなり若いお母様だけれど、40代半ばは過ぎているはずだ。
今は高齢出産も珍しくないので、驚くようなことではないけれど、そのお母様の場合はすでに二人の子育てをようやく終えたところなのだ。
二人の子供を育て上げたあと、さらにもう一度同じことをする気概に、私はなによりも驚いてしまったのである。

子育てはなかなか楽しいものであったし、産み育てて本当によかったとは思うけれど、私はもう二度と同じことはしたくない。それほど出産と子育ては大変だった。

私も30代で二人の子持ちとなった。20年以上も子供、子供の生活をしたのち、今は二人とも成人した。ようやく私はその責任から解放されたのだ。
子育てから卒業できたと思った時の解放感といったら、筆舌に尽くしがたい。。。重たい足枷が外れて自由になったことを感じたものだ。

「足枷」とはかなりネガティブな表現で適当ではないかもしれない。自分が望んだ子供なのだから、そのような言葉を使うべきではないのかもしれないけれど、常に自分の身体に二つのコブをくっつけていると思うとそんな表現になってしまう。
とりわけ子供達が小さな頃は、食事をするのもお風呂に入るのも、買い物へ行くのも、とにかく両脇に子供を抱えて暮らしていた。
ようやく手が離れたと思ったら、今度は教育費という重たい荷物を背負うことになる。
そんなことを20年以上も続けるのだ。理屈ではなく、子育てとはそれほど長く大変なことなのだ。



いまは、少子化による子育て支援が度々話題になる。
SNSなどにアップされる呟きを見ると、悲痛な言葉ばかりが目に入る。
自身の子育てしていた時代はどうであったか思い出してみると、政権交代により子供手当だか児童手当だか名前は変わるは、その額も増えたり減ったり、扶養控除も途中からなくなったり、変化の激しい時期であった。
高校無償化などがようやく実施されたものの、所得制限にかかり恩恵なしと、納税した額を考えると、働き損だと思ったものだ。
当時はかなり不満に思っていたけれど、SNS世代ではなかったせいか、ママ友ランチの席で軽く話題に登る程度だったと記憶している。
最初からお国からの援助など期待していなかったのだ。

それでもまだ、今ほど経済が冷え切っていたわけではなかったので、働けばお金は入ってくると希望が持てた時代でもあった。

少し前に昨年1年間の家計簿の集計をしたのだけれど、1年間の教育費が二人で350万ほどかかっていて大層驚いたものだった。

二人とも大学生で、長女は私立の文系なので理系に比べればまだ学費は高くはないのだろう。次女は国立なのでかなり学費は軽減されるのだけれど、入学金やその他諸々の納入金が嵩み、そんな額になったのだ。

周りのお友達などに尋ねてみれば、これは決して高額ではないという。
それこそ私立の理系などに子供二人通わせると考えたら、どれほどになったことか。さらには医学部などになったら、もはや普通のサラリーマン家庭では到底払える額ではなくなる。

今の若い子育て世代の方が、共働きで頑張るのも当然だ。給料が上がらないだけでなく、物価は上がる一方。子供がまだ小さな頃はいいけれど、中学、高校、大学と学費は桁外れに増えていく。
公立校を選択すればいいとか、高校無償化があるという声もあるけれど、それが無理なケースだってあるのだ。

例えば、子供自身、学びたいことが明確で、その分野に特化した私立校を希望する場合は親心としてなんとかいきたい学校へ行かせてあげたいと思う。
高校無償化に関しても、所得制限ありきなので、親が頑張れば頑張るほど蚊帳の外に置かれることになる。つまり学費全額自腹ということだ。

自分が望んで産み育てている子供なのだから、夫婦2人の力で育てよう!と、夫とは励まし合ったものだけれど、受けられるものであればどんなに助かっただろうかと、今でも思う。

世の中の親は誰もがこのように大変な思いをして子育てしてきたのだと思う。「親になる」ことが自分の選択とはいえ、これほど茨の道とは。

このようなことを言うと少子化を加速させそうだ。。。
大変なだけでなく、それを上回る喜びもあると、付け加えておくことにしよう。
子供達のおかげで、夫は「稼ぐぞ!」と力をもらえた。そのおかげで家族は何不自由なく暮らすことができた。
なにより無条件に可愛い自分の子供達がいつもそばにいてくれることで、暮らしが幸せに彩られたことは間違いない。
どんな茨の道でも、それを薙ぎ倒してでも進む力を与えてくれるのが子供達の存在だったのだ。



そんな子育てももうすぐ終わる。
学費は次女1人分払えばいいので学費だけなら年間60万程度で済む。これまで毎年、何百万単位と支払い続けてきた学費という怪物ももはや虫の息だ。
長女はもう自立をしているし、次女も得意分野を活かし、バイトで好きなものを買ったり遊んだりするくらいの収入はある。
もう、子供にはお金がかからないのだ。

先日、久しぶりに家族旅行へ出かけた時、夫と次なる人生をどう過ごしていくかを話し合った。
夫はまだ50代なので、これからもまだまだ働く気満々なのだけれど、これまで子供達のために費やした時間とお金を、今度は自分たちの人生をより充実させることに遣おうと、珍しく意見が一致した(笑)

住む家も暮らしもギュッと縮小して、日々質素にこじんまりと、そして年に何回かは旅行へ行き、新しい体験を楽しみながらゆったりと暮らそうということだ。

第二の人生を具体的に考える年齢になったとき、偶然にも小さな子供を連れた件のママに会ったものだから、とにかく驚いてしまったのだ。

その同級生ママのご家庭は、かなり裕福なので子供一人増えたくらいでは、学費が大変だのどうのと、私のように大騒ぎする必要はない。
ただ、どんなにお金があったとしても、私は二度と繰り返したくはない。

私が一番欲しいのは、お金よりも自由なのだ。
自分も歳をとり、身体も当然若い頃と同じではない。子育てにあくせくする体力はとうに失われている。
なによりも自分中心の気ままな暮らしを捨てようとは思わない。

ようやく自由の身になったのだ。起きるのも寝るのも、食べるのも、どこかへふらりと出かけるのも、全て自由なのだ。
まるで独身の時のように、自分の気持ちの赴くままに暮らせる今を、どうして手放せようものか!

私の周りの友人達はみんな同じような考えの人ばかりだけれど、ひょっとしたら、「子供の手が離れて寂しい。もう一度子育てをしてみたい」と思う人もいるかもしれない。
もしかしたら、その同級生ママもそんな感じなのだろうか。。。そう思ったら、少し事情は違っていたようだ。

娘に聞いてみたところ、なんとその同級生ママは離婚したのちに、20歳近く若い男性と再婚したそうな。。。
そんなに若い男性と結婚、出産というのも驚きだけれど、なによりも「また他人の下着を洗濯する生活に戻るのか⁉︎」と、その方が驚きだった。
もしも私が一人になったとしたら、もう二度と結婚はしたくない。妻の役割も母の役割も一度卒業したら終わりだ。

結婚生活は一生に一度経験すれば、私にとってはそれで十分だと思っている。
夫といえど他人だ。他人と暮らすことは、よいこともあるけれど、大変なこともある。
特に私は外国人と結婚したため、そう思うのかもしれないけれど。。。

人それぞれ、幾つになっても違うものだなと思った。似たような経験をしても、その捉え方は千差万別ということなのだろう。

人様の選択にとやかく言うつもりも権利もない。ただ、20年以上に渡る子育てを思い返すと、「あの日々を再び⁉︎」と、ただただ驚愕したのだった。