In other words

I really don't know life at all ...

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外国人ゲストを我が家に迎えて考えた英語のこと。英語力は必要か否か。

街には外国人旅行者が溢れかえっている。渋谷などを歩けば、「ここはどこの国?」と思うほど外国人だらけ。
コロナ禍以前に比べれば外国人観光客はまだ7割ほどしか戻っていないというけれど、欧米からの旅行者が増えたせいだろうか、我々アジア人とは違った風貌の身体の大きな外国人が目につくようになったからか、コロナ禍以前よりも外国人旅行者が増えていると感じる。

飲食店でもお買い物をしていても、そこかしこから英語が聞こえてくる。英語圏からの旅行者は一部なのだろうけれど、世界の共通語ということで、とりあえず日本語ができなくても英語でなんとかなるだろうというのはどこのお国の人も考えることだ。
私も然りで海外へ出ると、その国の言葉が話せなければ、とりあえず英語でコミュニケーションを試みるのでその心情は理解できる。「日本なのだから日本語を話す努力くらいしなさいよ」などと無茶な要求はしない。
ただ、我が物顔で英語を喋りまくり、通じないと呆れた素振りなどを見せる輩を目にすると、「なんと傲慢な!」とは思ったりはする。
ここは日本なのだ!郷にいれば郷に従え!と。

こんなふうに思うのは、あまりに中途半端な自分の英語力を自覚してのコンプレックスなのだろうか。。。

正直言えば英語は得意ではない。とりあえず日常会話程度なら問題ないのだけれど、スラングなどを多用されるとまったくわからなくなる。とりわけアメリカ人の話す英語は巻き舌が過ぎて耳が追いつかない。むしろ非英語圏の人が話す訛った英語の方が聞きやすいくらいだ。



英語を一所懸命に勉強したのは20代の前半。それ以降、30代くらいまでは海外と日本を行ったり来たりしていたので、普通に「英語は問題なし!」と言えた。しかし30代の終わり頃に日本に定住してからは、家で外国人の夫と話すくらいしか英語を使うことはなくなった。
そして、夫が日本語を理解するようになってからは、家の中ですら英語は使わなくなった。

語学というのは道具と同じで、使わないと錆びつくものだ。15年以上も英語を使わない生活をしていたものだから、いざという時、以前のように言葉が出てこない。

子供達にも発音の悪さや言い回しの不自然さを指摘されたりするほどに、気づけば私の英語力は10年間雨ざらしにされた植木鋏くらい錆びついていたのだった。

日本で暮らしているのだから、英語など必要ないわ!

そんな気持ちで、もはやブラッシュアップする気すらまったくなかったのだけれど、少し楽観しすぎていたようだ。

先日、夫の友人達が海外からやってきた。ホテルにステイするものだと思っていたのが、突然我が家に泊めると夫が言い出したのだ。

言葉の問題よりもまずは家の狭さが心配になった。一応ベッドルームは3つあるけれど、バスルームもトイレも一つずつしかない。我が家3人にさらに外国人の大人2人が加わるとなると、かなり無理があるのでは?と思った。
自分のテリトリーにおいて、生理現象を我慢しなければいけない事態は容認できるものではない。

夫には「近くのホテルにでもステイしてもらったら?」と言ったのだけれど、みんなと毎晩遅くまでワイワイやりたいのか、「どうしてうちじゃダメなの?」と、「泊める!」の一点張りだった。

仕方がないので、念の為にその友人達に「日本の家はウサギ小屋と揶揄されるくらい狭いですがご存知ですか?そんな狭い家でいいのですか?」
「小さなベッドルームにギュウギュウ詰めにしますよ!」

そう脅かしてみたのだけれど、あちらはまったく意に介さず。。。

「ホテルに泊まるのと同等の宿泊費を払うから、是非お宅に泊めてほしい」

もはや意味がわからない。。。

友人達は富裕層の方々なので、一泊10万円のホテルに1ヶ月泊まっても痛くも痒くもない。特にケチンボというわけでもない。
それなのに、なぜウサギ小屋に泊まりたいのだ⁉︎
もしや、この歳になってホームステイ体験でも求めているとか?

まったく解せないのだけれど、そこまでいうのならと、受け入れることにした。
散々脅かしておいたので、不便があっても「だから言ったでしょ?」と言える。
もし途中で嫌になったら、ホテルにでも移ってもらえばいいと考えていた。

ところが、いざ滞在を始めると予想に反してなぜだかとても快適なようなのだ。私も元々過剰に気を遣うタイプではなく、なんでもはっきり口に出すタイプの人間なので、彼らに対しても言いたいこと言う。

あちらも最低限の礼儀をもって、自由に振る舞う。

「まるで自分の家と感じるくらいに快適だよ」

などと狭い部屋に押し込められながらも楽しそうにしていたのだった。

最初に心配した部屋の狭さなども大して気にならないようで、お風呂やトイレの使用も、なんだかんだと声を掛け合いながら不便なく使うことができた。

夫にとっても近しい友人でも、私にとってはよくわからない赤の他人なのだけれど、不思議とストレスもなく毎日顔を合わせてはお喋りを楽しむことができたのだった。

ちなみに宿泊料はお断りした。食事に連れて行ってくれたり、あれこれプレゼントをしてくれたりとかなり気を遣っていただいたので、「そんなものいただけませんわ〜」と気前のいいところを見せてみた(笑)



そんな感じで思いもよらず楽しい時間を過ごすことができたのだけれど、やはり言葉の問題は避けては通れなかった。
歳のせいか、頭の中で言語の切り替えがうまくいかない。
頑張って英語で生活していたけれど、今度は日本語の使い方がおかしなことになったのだ。

夫や子供達とは普段日本語で会話をしているのだけれど、ゲスト達がまったく日本語を理解できないので、あまり日本語でばかり話しをするのは失礼ではないかと思い、夫はもちろん子供達に対しても英語で話すようにしていた。
通じればいいのよと思っていたので、かなり適当だったのだけれど、私なりに頑張っていたと思う(笑)

悪戦苦闘と言うほどではないものの、さすがに英語だけの生活は疲れるものだ。
必死でかつて覚えた単語を思い出しながら、時々言葉に詰まりながら話しているのだけれど、考えたからと言ってホイホイと失った英語力が戻ってくるものでもはない。

ボキャブラリーが少ないと、かなり回りくどい言い回しになるもので、もはや会話の全てがぐるりと遠回り。地下鉄を使えば早いのに、乗り換えが難しいからと山手線でぐるりと回ってきました。そんな感じで会話しているのだ。

とても親切な方々なので、そんな私の遠回りに辛抱強く付き合ってくれた。きっと聞いている方にとってはとてももどかしい思いをしていたことであろう。しかしそうしなければ会話が成立しないのだから仕方ない。
昨日食べたものすら忘れてしまうのだから、何十年も前に覚えた単語など出てくるわけがないのだ。

こんな感じで外国人に囲まれ、約2週間英語だけの生活をしていたら、今度は日本語までおかしくなってきた。

よく海外で長年暮らしている人などは、日本語を忘れてしまい、スムーズに出てこないということがあるけれど、私の場合はどっぷりと日本語に浸かって生活しているのだから忘れるはずがない。

なぜかといえば、頭の中で英語と日本語の切り替えがうまくできないようなのだ。
日本語を忘れるようなことはないけれど、頭で考えたことがサラサラと出てこないのだ。

外国人ゲストが滞在中、ちょっとだけ日本人のお友達とお茶を飲みに行ったのだけれど、なんだか言葉に詰まることが多かった。約2週間、ずっと英語だけだったので、頭の中に浮かんでくるのはまず英語だ。そこで日本語モードに切り替えるため、ワンテンポおそくなるという。。。

これはよろしくない!と今度は日本語に比重を置くと、今度は英語が思うように出でこない。
なんだか日本語も英語もどちらも中途半端という、久しぶりにとんでもなくポンコツになった自分を感じた。

海外で暮らしていた若い頃は、この切り替えが実にスムーズにできたものだけれど、錆びついた英語力に加え、年齢のせいか、それとも普段まったく頭を使わずにのほほんと暮らしているせいなのか、とにかく頭の回転速度がかなり遅くなっている。
遅いどころか、ときどきエンストを起こすくらいだ。



我が家に滞在していた外国人が夫や私のガイドなしで行動する際、「若い人を選んで話しかければ、少しは英語を理解してもらえるのでは?」と言っておいた。帰宅した彼等に言葉の不自由はなかったか?と尋ねたところ、若い人にもほとんど英語は通じなかったと言っていた。

私の年代では中学、高校の6年間は英語の授業があった。当時は日本人教師が酷い発音で英語の授業を行っていたもので、帰国子女の生徒がよく鼻で笑っていたのを思い出す。しかし今は小学生から英語の授業が取り入れられているから、おそらく12年は英語を学んでいるはずだ。しかも教えているのはネイティブの英語教師だ。
それにも関わらず、実戦で外国人との会話がままならないとは、日本の英語教育は正しいのだろうかと疑問だ。

私の友人達の多くはとても流暢に英語を話す。どこで覚えたかといえば、帰国子女はじめ、インターナショナルスクールへ通っていたとか、海外留学や海外赴任経験ありと、全員が日本の外で培ってきた英語力だった。
中にはとても高学歴なお友達もいるのだけれど、日本での英語教育ではまったく英語は話せなかったという。

日本で暮らすのなら別に英語などできなくても不自由はしない。正直そう思うけれど、英語が話せて損をしたと思ったことは一度もない。

日常会話程度でも英語が理解できれば、とりあえず海外旅行へ行った際などには不自由はしない。
お買い物の際にお釣りを誤魔化されるとか、人並みのサービスを受けられないといった理不尽な目に遭ったりした際も、とことんクレームをつけたりできるので、泣き寝入りして悔しい思いをすることもない。
そもそも私が英語を学んだのは、「悔しい思いをしたくない、言いたいことが言えるようになりたい」そんな思いからだった。
元来の悔しがりが英語を学ぶ大きな原動力となったのだ。

それはのちに夫婦バトルでも大いに役立った。私の場合は「ビジネスで役立つ英語」ではなく、暮らしの中で「理不尽な目に遭った時に応戦するための英語」に主軸を置いて学んだため、夫との口論にもその英語力を遺憾なく発揮できたのである。
単に「英語を学ぶ」ではなく、何のために学ぶのか、目的をしっかり持つことは後々の人生においてはなかなか重要なことではないかと思う。
たかが夫婦喧嘩で連勝し続けている程度で大袈裟だけれど。。。

私の場合はそんな小さな目的ではあったけれど、もっと志高く目標を定めて学べば、きっと相応の結果が期待できたはずだから、目的によって学び方を選ぶのは案外大切なことなのではないかと思うのである。

しかし英語が話せなくても、必要でない環境で生きているのなら問題はない。
私も夫が外国人だからこそ、英語が必要になることもあるけれど、もしも日本人と結婚していたらきっと何十年も英語に触れる機会などなく過ごしていただろう。
英語が話せない友人から「あなたは英語が話せていいわね」と言われることがあるけれど、逆に「英語を話せなくて困ることなんてある?」と聞き返せば、「別に困らないわね」と返ってくる。
結局はそういうことなのだ。



夫が外国人である限り、今後も今回のように英語を話さなければいけない場面があるだろう。その時にまたあたふたしたないように、少しはブラッシュアップしておくべきなのだろうとは思う。
それでも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、今更英語など勉強してもね。。。などと思い始めている始末だ。

英語を学ぶことよりも楽しいことは山ほどある。暇な身の上とはいえ、時間は大切にしたい。
勉強せずとも完全に忘れてしまうことはないだろうから、またそんな場面が訪れたらその時考えればいいかなと思う。

英語は必要な人が必要な時に学べばいい。今の私にはとりあえず必要ではなさそうなので、ブラッシュアップする暇があるのなら、この有限である時間をもっと楽しいことに使うとしよう。


子離れ、親離れは最初の一歩が難しい。ある親子の話で考えたこと。

先日、久しぶりに長女の小学校時代にお付き合いのあった母様から連絡があった。仮にMさんとしておこう。
特に用事があったということではなく、「ふと、あなたのことを思い出してね」と、連絡してきたそうだ。

Mさんは、おそらく私よりも一回り以上も年上で、40過ぎてから産んだ一人息子を、それはそれは溺愛していた。
子供同士の喧嘩にも、子供を差し置いて出てくるものだから、他のお母様方からの評判はすこぶる悪かった。

海外暮らしが長ったとかで、いわゆる欧米礼賛といった思想を持った方だったので、外国の血が入っているミックスの我が子たちがいたくお気に入りだった。

周りのお母様方からは、「あの方とお付き合いしない方がいいわよ」などと忠告という、余計なお世話を焼いていただいていたけれど、私に対してはいつも礼儀正しく、とても親切だったので、気にすることなく、誘われればランチもご一緒した。

Mさん自身も自分が人から何を言われているのか知っていた。周りの方々から一線を敷かれ、陰口を叩かれるのも知った上で、私が普通にお付き合いをしていたためか、「やはり外国の方は違うわね」と、日本人の私に向かって、よく言っていたものだった。

夫は日本人ではないけれど、私はどこをどう切り取っても日本人だ。
周りのことを気にしないのは、私が「外国人みたい」だからなのではなく、単にそんな性格なだけなのである。

どれほど評判の悪い人だろうが、その人が自分にとって良い人であると思えば、遠ざける必要もない。
誰とお付き合いするかは、自分で決める。そう思っていただけなのだけれど、Mさんの中ではそれが「外国人」と写ってしまったようなのだ。
勘違いも甚だしいと、何度も「私は大和撫子よ」と言ったが、受け入れてはもらえなかった。
大和撫子」などと言ったのが失敗だったと、今では反省している。素直に「日本人」だと言えばよかった。。。



電話では相変わらず溺愛する一人息子の話題でいっぱいだった。いわゆる近況報告だ。

Mさんはシングルマザーではあったけれど、ご自身でビジネスやっていたため、かなりの資産家のようだった。
いつも日替わりでカラフルなバーキンを腕に引っ掛けて現れ、指には大きな立て爪のダイヤがギラギラと光っていた。
予約してくれるランチのお店も、一元さんでは敷居が高いようなお店ばかりで、料理長や支配人がご挨拶に来ていた。
想像するにビジネスでも使っているお店なのだろう。

人脈もかなりあるようで、溺愛する一人息子の進路も常に自分のコネをフル稼働して決めていた。
しかし、なにぶんエキセントリックな性格なものだから、あちこちで衝突しては、息子の進路にさえもよくない影響を与えていた。

Mさんにとっては、それが息子を守るという正義だったのだけれど、側から見ると「おとなしくしていればいいのに」と思い、時には「Mさん、やり過ぎよ」などと口出ししたこともあった。
困惑している息子さんが、不憫に思えたからだった。
しかし、人の言うことなど素直に聞くようなおばさんではない。

子供達が小学校を卒業したのを機に疎遠になっていたけれど、何年経ってもMさんは相変わらずのようだった。

当時は自分のコネで某外資系企業に就職させるつもりだと言っていたけれど、その話は立ち消えになったようだった。きっとまた大騒ぎして拗らせたのだろう。
結局、大学を卒業した息子さんは定職にはついていない。

大学を卒業した歳といえば22歳になる。
我が家の長女はすでに家を出て一人で暮らしている。そんな年齢だ。

しかし今でもMさんは、都心の高級マンションで溺愛する息子さんと仲良く暮らしている。
それだけなら、まだわかるのだけれど、未だに小学生の頃と同じように、どこへ行くにも息子に付き添っているというから驚きだ。

聞いたところによると、Mさんはすでに自分のビジネスは人に任せ、事実上引退し、株などをやりながら悠々自適に暮らしているという。
つまりは、時間だけはたっぷりあるということだ。
元々、「息子命」で生きてきた方なので、今は思う存分に息子に寄り添っていられると言うわけだ。



話を聞いていると、コネで働き始めたものの、相変わらずMさんが「息子を蔑ろにするのか⁉︎」「条件が悪すぎる!」「息子を過小評価するな!」と、大暴れし、すでに幾つもの会社を後にしているそうだ。

働かずとも人並み以上の生活ができるのだから、問題はないのだろうけれど、聞いているだけで他人事ながら息子さんはどうなってしまうのだろうかと思う。

親はいつか子供を手放さなければいけない時がくる。
自分から手放さずとも、子供の方から親の元を離れていくものだ。

親の役割とは、子供が自分の元を巣立った後も、しっかりと生活していけるように育てることなのだと思っている。
順番から言えば、親が亡き後も子供は生きていかなければいけないのだから、自分がいなくても一人で暮らしていける力をつけておいてあげなければいけない。

そのためには、ある年齢になったら、ポンと子供から離れるべきなのだ。

もちろん、それには勇気がいる。子供が幾つになっても、親は子供のことが心配になるものだ。
私も、長女が自立したとはいえ、何かあればすぐに心配で駆けつけてしまうから、Mさんの気持ちもよくわかる。

しかし、どう考えてもMさんは度を越しているように見えるのだ。
とうに成人した息子に常に付き添い、息子に不利益があろうものなら、先頭きって戦うのだ。本来ならそれは本人のやることなのに、その機会を一切与えない。

そのバイタリティに驚き、還暦をとうの昔に過ぎた歳でさえも、それほどの元気があることを羨ましく思うほど、Mさんは変わらない。

「そろそろ自立させたら?」

老婆心ながら、私よりも老婆に近いMさんに言ってみた。

しかしMさんは、相変わらず人の話は聞かない。

「もうね、みんながうちの子を僻んで嫌がらせをしてくるの。私が守らなくてどうするの!」

「Mさんが守らなくても、自分で自分のことは守れるわよ」

そう言ってみたけれど、ダメなようだった。

Mさんにとって、息子は3歳の頃と変わらないのだ。
そう思って、その話題は早々に切り上げた。人のお宅のことに口出しをしたところで、双方になんのメリットもない。



よくよく考えてみれば、人間関係とは親子の間でも当然のことながら双方向性である。
たとえ母親が離れようとしなくても、息子の方がそれを望めば、母の思い通りにはならない。

Mさん親子がいまだに変わらないのは、息子自身もMさんの庇護の下にいることを望んでいるということなのかもしれない。
仮に望んでいないとしても、ずっと息子命で、常に我が子の盾となり、全てを注いできた母を無碍にできないのかもしれない。
他人のことなので、その心中はわからないけれど、いつかは離れなければいけない時がくる。

それはすべての人に言えることで、命に永遠はないからだ。

「私たちももう若くはないし、自分たちが亡き後の子供達のことを考えるべきじゃない?」

その言葉にだけは「そうよね」と、少しだけMさんに響いたようだった。
いつも勢いのいいMさんが、受話器の向こうでシュッと縮むのを感じた。

「それに、そのうちMさんよりも大切な人ができちゃうかもしれないわよ!」

冗談めかして言った一言に、Mさんは本来の勢いを途端に取り戻した。

「そうね。でもそれもお相手次第よ。日本の娘は絶対にダメ。金髪の美しい娘だったら許すわ」

。。。。。

相変わらずである。。。

息子の嫁選びにさえ、前線で参戦する気満々のMさん。子離れは一生できそうにない。。。

しかし、元々喜怒哀楽が激しく、自分の信じる道を突き進んで行くような人だ。
ひょっとして、子離れの最初の一歩さえ踏み出せれば、別の道へ邁進することも考えられる。

その一歩を踏み出すには、やはりMさん自身が自分で動くしかない。なんせ他人の言うことは一切聞かない人だから。

「あら、息子から電話だわ。またそのうちね!」

突然電話をしてきたのと同じように、Mさんは一方的に話を切り上げて電話を切った。

やれやれである。。。
とはいえ、嫌な電話ではなかった。
少なからず私のことを思い出し、「お元気?」と連絡をしてくれたのだ。
Mさんも相変わらずお元気で、それは私も嬉しかった。
それほど深い繋がりはなかったにしろ、人生のほんの一幕、同じ時間を過ごした人だ。
袖触り合うも多生の縁。そんなご縁を再び繋ごうと電話をしてくれたことに感謝したい。

10年後、20年後、Mさん親子がどうなっているか、少し興味深い。
同じ街で暮らしているので、バッタリ会うこともあるかもしれない。

いずれにしても、Mさん自身の人生だ。他人にとってそれが誤りであると思っても、Mさん親子がそれで幸せなら、それでいいのだと思う。

こうでなればいけない。こうしなければいけない。そんな風にがんじがらめになって生きるよりはよほど自由だ。
その結果、どうなろうとも、自分で選んだ人生だったら、その責任も自分で取ればいいだけだ。

私がヤキモキと心配せずとも、Mさんには潤沢な財産がある。
お金がすべてではないけれど、世の中の問題のほとんどはお金で解決できるのが現実だ。
そう考えると、Mさん親子のことを心配する暇があれば、自分の老後の心配をしていなさい!
そう自分に言ってあげたくなったのだった(笑)


マスク解禁になっても、私がマスクをし続ける理由。

マスク解禁となってからずいぶん経った。さすがに街を歩いていると、以前に比べてマスクを外している人が目につくようになったので、きっと公にマスクなしでOKとなるのを待っていた人がたくさんいたのだろう。

とはいえ比率から言えば、依然としてマスク着用を継続している人の方が、圧倒的に多いように感じる。
花粉の飛び交う季節なので、コロナ云々ではなく別の理由でマスクを着用している人も少なくなのだろう。

私もその一人だ。

正直、マスク解禁前から、義務ではないのだしするもしないも本人の自由ではないのかしらね?と思っていた。
マスクをしていない人が、近くで咳き込んでいたりすると、さすがに気にはなったりしたけれど、そんな時でも自分がそっとその場から離れれば済むと思っていた。

私には新型コロナに感染したらリスクとなり得るような持病もあったりするのだけれど、だからといってマスクをしていない人に「けしからん!」などとは思ったことはない。
他人のすることに対しては、いつでも極力無関心でいたいし、実際に無関心なのだ。

自分にとって害となるのなら、自分が離れればいいだけだ。人を自分の思い通りに動かすよりも、自分が動いた方が事はずっと簡単で、それを当たり前とすることで余計なストレスからは確実に解放される。



新型コロナの蔓延から早いもので3年。その間は外出するたびにマスクをつけていたけれど、それを苦痛だと思ったことはない。
むしろ私にとっては好都合なことばかりではないかと思っているくらいだ。

若くて綺麗なお嬢さん方やイケメン男子からしたら、マスクで顔の半分が隠れるのは望ましいことではないと思うのだけれど、50代になり肌の衰えが顕著に見られるようになった身としては、マスクは粗を隠す格好の神アイテムとなっている。

さすがに目尻のシワは隠せないものの、頬のシミやたるみ、ほうれい線など、根こそぎ真っ白なマスクで覆ってしまえるのだ。白いマスクはまるで反射板のようにわずかに出ている肌を明るくしてくれる。


それだけではない、化粧をしなくても外出しやすくなった。
近所のスーパーやコンビニへ行く際も、友人知人にバッタリと出会う可能性が大なので、身だしなみには多少なりとも気を遣ってきた。
しかしマスクの登場でそこまで気を遣わず済むようになったのだ。なんと言っても顔の半分が隠れているのだ。

知り合いに会ってもニッコリとマスクから見える目だけを、思い切り蒲鉾のように細め、微笑んで見せればそれでOKだ。
肌のくすみも露わになることはないのだから。
それでも気になる時は、マスクにサングラスでもしてしまえば、もはや誰も私だと気づきはしない。
コロナ禍以前であったら、有名人でもない人間がそんな格好をしていたら、ジロジロと奇異な視線を投げられたものだけれど、コロナ禍では誰もがそんな有名人特許スタイルで街を闊歩できるようになったのだ。

そんな訳で、マスク解禁でほとんどの人が「やっとか」と喜んだのだと思うけれど、私は少し複雑な思いだった。

今はまだ花粉の季節なので、マスクをしている人も多くいると思うのだけれど、きっと夏がやってくる頃には、多くの人が一斉にマスクを外すのではないかと予想している。

マスク着用がマイノリティになれば、海外のように今度は「あの人、なにか病気なのかしら?」といった目で見られるようになるだろう。
見ず知らずの人からどう思われてもいいのだけれど、友人知人などから「大丈夫?どこか悪いのかしら?」などと、いちいち言われるのを想像すると、かなり面倒な気持ちになるのだ。

そう考えると、この神アイテムをいつかは手放すことになるのだろうなと覚悟はしている。



マスク解禁に憂いを感じながらも、逆に「これは良かった」と思うこともある。

マスクは好きだけれど、最近は長時間していると肌の調子が悪くなることに気づいたのだ。
私は仕事もしていないので、家にいる時間が長い分、マスクを長時間することは稀だ。
しかし、今年になってから旅先で一日中マスクをしていたら、蕁麻疹ができたり肌が荒れたりするようになった。
最初は旅の疲れかと思ったのだけれど、東京に帰り日常生活に戻ると改善、そしてまた旅に出ると同じように肌が荒れるということを繰り返した。
そこで思い当たったのがマスクだったのだ。

他にもまだある。
私はカフェでトイレに行く時や飲食店で食事をした後に、よくマスクをし忘れてしまう。
一緒にいる人から、「マスク!」と言われるまで気づかずノーマスクで歩き、人からジロジロと視線を送られるといったことがよくあった。
自分ではかなり意識しているつもりだったけれど、マスクが好きな割には重要視していなかったのだろう。

マスク解禁となったいま、その点は気にしなくていいので便利になったなと思う。

ノーマスクの利点もそれなりに感じてはいるけれど、やはり老化を隠す神アイテムとしてのマスクは捨て難い。
一生とは言わないけれど、せめてもう少しだけ、自分の老化、劣化に完全に諦めがつくまでは、マスクをしていたい。

いまだに東京都はLINEなどで、毎日の新型コロナ感染者数などをお知らせしてくれるけれど、社会の雰囲気からいえば風前の灯といってもいいくらい、人々にとっては過去のものとなりつつある。

もはや私にとっても新型コロナ感染防止よりも、あら隠しのためのマスクになっている。

目的はどうあれ、私はギリギリまで抗おう。まだ家にはマスクのストックも大量に残っている。