In other words

I really don't know life at all ...

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コロナによるフードロス商品にポチリの良し悪し。ついつい狂う金銭感覚。。。

先日、ネギを買いにスーパーへ行った。
ほとんどの食材は我が家にある2台の冷蔵、冷凍庫にストックがあるのだけれど、さすがに新鮮な野菜はちょこちょこ買い足さねばならない。いつもは仕事帰りの夫に必要なものがあればお願いするところを、ついうっかり忘れてしまうこともある。

この日も、前日頼み忘れたのか、「ネギがない!」と気づき、渋々買い物へ出たのだ。

久しぶりに街へ出て驚いた。
行きつけのお店は片っ端から休業。中には暖簾をたたんだ店もあった。大きなモールでさえ飲食店をはじめブティックもすべて休業。かろうじてスーパーとドラッグストアだけが営業していた。

コロナの影響はこんなところまできていたのかと、気持ちがズドンと暗くなった。

さして人通りも少なくなっていない通りを歩き、庶民的なスーパーへ行ってみると、平日の真昼間だというのに結構な人出で、ニュースで観ていたようにレジには長蛇の列ができていた。そろそろ落ち着いた頃だろうと思ったのだけれど、まだまだ状況は変わっていないのか。

目には見えないコロナウィルスが浮遊している図を想像すると、そこへ入っていく勇気はなかった。
仕方なく少し離れた高級スーパーへ行ってみると、こちらはガラガラ。ネギが100円高くても、コロナ感染のリスクに晒されるよりはマシだとそちらでお買い物をした。

街のスーパーがまだこんな状態なら、もはやネット通販に頼るべきか?
そう思い、ちょっと見ていたら、「フードロス」「食品ロス」という言葉が目についた。

コロナの影響で行き場を失った食品が山ほどあると言う。相次ぐ飲食店の休業、物産展の中止、観光客の減少などで在庫を抱えて困っているところがたくさんあるのだ。

どうせ同じものを買うのなら、そうしたところで買い物をすればWIN-WINじゃないの!と、その日からせっせとネットショッピング。

ネットショッピングというのは不思議なもので、一度始めると「ポチリ」とするハードルがグッと下がる。

数十年前、私もその沼にハマっていたことがある。ちょっと「いいなぁ」と思うものがあればポチリ。ついでにこれもとポチリ。一日にいくつもの商品をポチリまくるのだ。

そのうち忙しくなり、ゆっくりとネットショッピングなどしていられなくなったことで、自然とポチリ沼からは抜け出していた。

ちなみに、危険な時間帯というのがあって、特に夜中の2時、3時あたりは要注意だと、ネットショッピング中毒のお友達がよく言っていた。理性がいつも以上に働かなくなる時間なのだそうだ。

ポチリ沼から這い出してからは、もっぱら実店舗でのお買い物専門だった。
とりわけ百貨店は、行けばなんでも揃うので便利だ。
週に2回は銀座だ、日本橋だ、新宿だ、渋谷だと、あちこちの百貨店でお買い物を楽しんでいた。

しかし、この自粛でそれも叶わなくなった。最後に出向いたのは、確か3月の20日頃だろうか。
すでに1ヶ月近くも長年の習慣をストップさせていることになる。

そこでネットショッピング熱の再来だ。
お菓子から雑貨、部屋着などここのところ毎日のようにポチリ、ポチリしている。

ポチリ沼に再び足を踏み入れただけでなく、今回は柄にもなく、人様のお役に立てるのかしらなどと思ってしまったから始末が悪い。
ただでさえこの自粛でネットでのお買い物に拍車がかかっている状態なのに、お買い物とセットで社会貢献できるのね!と、つい調子にのってしまったのだ。。。

お菓子、チーズ、お肉、普段家でもデイリーに食べているものがたくさん並んでいる。ところが、欲しいと思うものに限って売切れの表示が出ている。
買おうと思うお得な価格帯の物は誰もが一緒で、そういったものはいち早くなくなるのだ。

ここでやめておけばいいのに、どうせだからと、他にもなにかないかとさらに探すと、本来なら買わないようなものでも、「あら、美味しそう!」とポチリとしてしまう。

好きなお菓子に至っては、ついでにと本星以外のお菓子もポチリポチリ。当初の予算を大幅に上回っているにも関わらず、本人はいい気分だ。

もちろん届いたものはきちんと消費するけれど、普段なら決して手を出さない価格帯のものにまで手を出しているのは問題だ。
別にセール価格になっているわけでもない。たとえ少しばかり安くなっていても、通販には送料がかかる。これが遠方からのクール便なんかだと、トータルは結構な額になる。

普段はあまり気にしない食費だけれど、ちょっと遣いすぎてはいないかと、溜めていた家計簿の集計をしてみたところ、ビックリした。
買い物へ出かけないからいつもの半分くらいかと思いきや、まだ4月は終わっていないのに、すでにいつも以上の出費になっていた。

ふと、これはどういうことだ?と思った。

普段なら特別の時に買うようなものを、当たり前に買ってしまうのは何故だ?

これはまさしくコロナのせいではないか⁉︎
いや、コロナのせいというよりも、コロナを理由に適当に好き放題しているということなのだ。

コロナだから仕方ない。。。

コロナだからこれくらいはいいだろう。。

コロナだから栄養つけなきゃ。。。

コロナだからストレス溜まるから。。。

もう理由はなんでもいい。「コロナ」さえつければなんでもOK。
まさに水戸黄門さまの印籠の如しコロナだ。

夫は私がどうお金を遣おうが文句を言ったことはない。破綻さえしなければお好きにどーぞ。というお金に対しては非常に寛大な考えをもった人だ。

しかし、今回はどうも野生の感のようなものがあるらしい。

もしも収入が途絶えた時のことも考えておいた方がいいと口にするようになった。

今は大丈夫でも、3ヶ月後、半年後、どうなっているのかはわからないからと。

余力あるうちに、しっかり対策をしておけと言うことなのだろう。

国が国民一人につき10万円を支給するそうだけど、非課税と言いながらも年末には税金として吸い上げられないともら限らない。なんでもコロコロと変わる風見鶏のようなガバメントだ。

もし運よく、全額懐に収めることができたとしても、1人10万円など子供の教育費にしかならない。それもたった1ヶ月分だ。

つまり、お取り寄せで社会貢献するわよ!と、人様を助けるのもいいことだけれど、来年の今頃に今と同じ生活があるかどうか、よく考えた方がいいということだ。

人を助けたいと思えば思うほど、自分の首を締めることになっているような気がしてきた。。。

こんな非常時くらいは、心のきれいな人間の真似事をしたい。マザーテレサみたいに、自分のことを犠牲にしてでも他人に尽くす、そんな生き方ができるってどんなに素敵だろうとずっと思ってきたけれど、結局のところ私はネット上で多く見かける「正義の味方」みたいな人間にはなれないし、人を救う前に「まずは自分」というスタンスは変えられないのがわかった。

良い人になりたくて、ポチリ、ポチリを繰り返し、数ヶ月後にそのポチリの数々を悔やむことにならないとは限らない。
身近なところでも、倒産、解雇という話が耳に入ってきている。

一寸先は闇と、いつも心に留めているけれど、コロナのせいで私は冷静さを欠いているのかもしれない。

ネットショッピングをする前に、万が一の時のシュミレーションをする方が先だ。
私達家族を助けてくれる人は誰もいないのだから。

というわけで、本日よりしっかり節約しようと思う。