In other words

I really don't know life at all ...

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初めて胸がザワザワした新型コロナウィルスの恐怖。

先週から本格的にお篭り生活をしている。体調を崩していたこともあり、こんな時は免疫も落ちているだろうからと、夫からも家でのんびりしているように言われていた。

とりあえずは家にあるものでなんとかしていたのだけれど、やはりフレッシュな野菜は備蓄しておくというわけにはいかない。
自粛前の買い物行列もなくなった頃だろうしと、今日あたり近所のスーパーへでも買い出しに行くつもりだった。

しかし、家事を先に済ませようとお掃除をしていると、娘が「志村けん、亡くなったよ」と。。。

新型コロナウィルスで入院したというのはニュースで観て知っていたけれど、まさかお亡くなりになるとは思わなかった。

なんだか、初めて胸がザワザワとした。

志村けんさんは幼い頃からTVで観ていたというだけの人ではなかった。

麻布十番でよくお見かけしていた人なのだ。

もちろん知り合いでもなんでもない。お見かけしても、ただ横を通り過ぎるだけの人だったのだけれど、生身のその人を見ていたという事実が私の気持ちをザワつかせた。

いつもお散歩をするようにゆっくり歩いていた姿を思い出す。
あんな風に、普通にそこを歩いていた人が、このウィルスによって命を落としたのだ。

そう思うと、これまで感じたことのない恐怖が迫ってきた。






ウィルスはそこら中に蔓延していて、本人の自覚ないままに、すでに体内に潜んでいたりするのかもしれない。

海外の現状を見ても、日本だけが安全だとは思えない。まだ始まったばかりではないかとさえ思う。

友人知人の中には、「大丈夫よ。大袈裟ね」と、ランチなどに出かけている人もいる。

若い人達だけでなく、中年だろうがお年寄りだろうが、出歩く人は出歩く。
強制力がないだけに、日本はゆるい。

自粛と言いながらも、ごく普通の人々は仕事へ出かけて行かなければならない。
夫もその一人だ。月曜の朝がくれば、いつもと同じように「行ってきます」と仕事へ行く。

首都を閉鎖するのは容易なことではないはず。それはわかる。しかし、人命よりも優先すべきことがあるのだろうか。

ここまできたら、今できることをするしかない。全てが丸く収まるわけがないのだから。
オリンピックがいい例だ。あれほどまでに守り通そうとしたオリンピック開催も、結局は延期になった。

どんなに用意周到に計画しようが、あらゆる識者が知恵を寄せ合おうが、今回の新型コロナウィルスの前では無力なのだ。
それは各国の惨状を見ればわかる。

今はただ、一人一人が自分や周りの人間を守るために、各々できることをするしかない。
それは何かと言えば、私のような人間はこのまま家に引きこもることなのだ。

家にいなければいけないストレスを嘆く声も聞かれるけれど、仕事で外出しなければいけない人のことを思えば、なんと贅沢な嘆きだろうと思う。
感染するリスクがたとえ少しでも低いとしたら、それはとても恵まれたことだ。

東京はただでさえ人が多すぎる。外出する必要のない人間は大人しく家で過ごし、少しでも外にいる人達にスペースを譲ろう。

小池都知事のいう「三密」を作らないことに、少しは貢献できるはずだ。