少し前のこと、歯が抜ける夢をみた。
虫歯など一本もないのに、夢の中で抜けた3本の歯はどれも真っ黒だった。
私はたまに悪夢を見ては魘され、家族から叩き起こされるというようなことがよくあるので、これしきのことで寝覚めが悪いなどとは思わない。
ただ、ちょっと気にはなる。
そこで気休めに夢占いなどを調べてみると、「トラブルの前兆」などとある。見るけど信じないのでそれはどうでもいい。
もう一つの答えはストレスを抱えているというもの。これは心当たりがある。
おおありだ。
その時、ちょうど母親が我が家に滞在していた。すでに1週間になろうとしていた。
自分の母親なら気を遣うこともないし、むしろ家事などを手伝ってもらえて楽になるだろうと人は言う。
でも、そんな親ばかりではない。
つまり誰も彼もが「親だから」という理由で良い関係を築いている人ばかりではないということだ。
昔から母親とはうまが合わなかった。
我が一族の中では父に継ぐブラックシープ(英語で厄介者のことをそう呼ぶ)と認識されていた私は、真面目を絵に描いたような保守的な母親とは合わなかった。
母は自分の意にそぐわぬことをする娘にお説教をすることも、怒りをぶつけてくることもしなかった。
ただ、黙ったままでいるのだ。
喧嘩でもできる相手であればまだ救いはある。しかし、母はいつでも黙ったまま何もしない。
側から見ればそれは耐え忍んでいるような姿に見えるものだから、周りの人達はみんな母に同情する。
しかし、私にはわかっていた。母は自分が一番可愛いのだ。喧嘩をしたり誰かとぶつかれば少なからず傷を負うことになる。それを避けるために母は黙り、貝のように身を硬くしているのだ。
それを証明するように父が亡くなった際、病院への支払い、葬儀の手配、そして父の経営していた会社の整理などをすべて丸投げされた。
「私はなにもわからないから。あなたが一番父親に可愛がられていたのだから後始末くらいはしてちょうだい」
「あんな海千山千の人達と交渉など、怖くてできない。でも会社を放置することもできないんだから。。。」
そう言ったきり、母はまるでなにもなかったように、また黙りこんだ。
この人はそんな怖い人達の中に平気で娘を放り込もうとしている。我が身かわいさに私を盾にしようとしている。
やはり母は自分が一番かわいいのだと、私は改めて実感した出来事だった。
こうした事は以前にも何度となくあったが、これがダメ押しだった。
結局、誰かがやらなければいけないことだった。会社を継ぐ気も存続させるつもりもなかったので、私は父の弁護士と共に後始末をすることにした。
本来ならば嫁に出た娘のやることではない。弁護士の先生も「なぜ、あなたがやらなければいけないのかね?」と歩に落ちないようだった。
当時私の子供達もまだ小さかった。幼稚園に通う長女とやっと歩けるようになった次女の手を引いて、私は会社の整理に奔走した。
それから少しすると、今度は相続の問題だ。
正直言ってうんざりだった。お金よりも母や母を取り巻く人達と関わりのない人生の方が欲しかった。
色々考えた末、私が選んだのは相続放棄だった。お金には困っていなかったし、それが元でまた揉めることになればさらにストレスを溜め込むことになる。
もうこれ以上のストレスはごめんだった。
私が相続放棄したことで、事は円満に収まったようだ。めでたし。
とにかく、いつでも自分の身を守るために、我が子すら犠牲にする母が許せなかった。そういう人だとは薄々わかってはいたけれど、父の死はその決定打となったのだ。
それでも、母との関係は切ることができない。他人であればさっさと絶縁するところだけれど、肉親、産み育ててくれた親との関係を完全に断ち切るのは容易な事ではない。
母は平然と我が家へきては、長いこと滞在していく。
ただ来て、子供達とお喋りをし、上げ膳据え膳でくつろいでいく。
家事を手伝うこともなにもせず、ただのんびりと家で過ごしていく。
母には過去に起こったことなど、もう記憶にないのだろう。口を開けば亡き父がどれほどの暴君であったかを恨みがましく繰り返すだけ。
「そんなに気に入らなかったなら、なぜ生きている時に本人に言わなかったの?」
そう言うと、
「あなたは溺愛されていたから、どれだけ身勝手な人間だったか知らないのよ」
そう言ってまた黙り込むのだ。
お話にならない。。。
そんな母と毎日顔を突き合わせていると、当然のことながら私はイライラとストレスを溜めていくことになる。
以前であれば「帰ってくれ」と言えたが、年々歳をとり、老い先短い母を見ていると、自分が我慢することが正しいと思えるようになった。
血の繋がりとはまったく厄介なものだと思う。肉親だからこそ断ち切れない「情」のようなものに、がんじがらめにされているような気になる。
私と母親の関係、私が母親に対して長年抱いてきた思いを知らない友人達は言う。
「お母様がまだお元気なのだから、それだけで感謝しなくちゃ」
「介護がないだけ、あなたは幸せだわ」
もっともなことである。
母は80を過ぎてもまだ元気だ。たとえ30分ほどの道のりだとしても、たった一人電車に乗って我が家へやってくるだけの元気がある。
それはすごいことだし、他人の手を煩わせないという点では立派であるともいえる。
決して怒ったりせず、いつも優しく、80を過ぎても自分の足で独立した生活を営んでいる立派なお婆ちゃま。
しかし、それは母の一面でしかない。そこだけを切りとって人は母を「立派なお母様」というけれど、私にとってはそれ以外のことの方が問題なのだ。
夫も子供達も私とはまるで似ていない正反対の「いつも静かで優しいお婆ちゃま」としての母しか知らない。
いくら過去にあった数々のことを話して聞かせても、目の前にいるニコニコと柔和な、大人しい母を見ていると、私が大袈裟に語っているだけなのだと思うのだろう。
それももう理解してもらおうと思わなくなった。
誰かに理解してもらったところで、私の母に対する感情が変わるわけではない。
いつものパターンで、自分の気が済むと母はやがて自分の家に帰っていく。
それまでの辛抱なのだ。
歯がぼろぼろと抜ける夢を見ながら母を受け入れることが、かろうじて私にできる親孝行なのだと思うしかない。
一生は続かないという思いのみが唯一の救いだ。