In other words

I really don't know life at all ...

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つらい時に見る父の夢と、存在しない和菓子。

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最近、ちょっとばかり心配事などもあったせいか、コロナ禍からの生活の変化が影響してか眠りがとても浅い。

昨夜も眠りの浅いところで夢を見ていた。

もう15年も前に亡くなった父親の夢だった。
心配なことで心が満たされているような時は、決まって父が夢に出てくる。
笑って「大丈夫だよ」というのがお決まりなのだけれど、今回は少し違っていた。

夢の中の私は誰かの妻でも母でもなく、まだ「父の娘」で、舞台はかつての実家だ。
帰宅すると、玄関の外で父が待っていて、笑いながら和菓子の包みを差し出してきた。

私が年に数回行く、ある和菓子屋さんのものだった。

包みを開けると、その店ではまず作らないであろうお饅頭が4つ。
見た目は名古屋の『餡麩三喜羅』ようでいて、中身はやたらと水分量の多いトロリとしたこし餡、その中に薄くスライスされた生姜の糖蜜漬けが入っているという、いまだかつて見たこともない和菓子だった。

「美味しいよ。好きだろうと思って買ってきた」

父はそう言っていた。

この夢は一応ストーリーもあってダラダラと続き、目覚めた時には細部まで覚えていたのだけれど、少し時間が経ったらフレーム以外はぼんやりとしてしまった。

ただ、このお菓子のくだりだけは、鮮明に思い出せる。





とうの昔に亡くなった肉親が夢に出てくるのは、どういった心理からなのだろう。

心配事があるたびに父が顔を出すということは、知らず知らずのうちに父にすがっているかとも思う。

生前、いつも私を護り、どんなことがあろうとも、そばにいてくれた唯一頼れる存在であった父だ。
亡くなった時、これからは自分を守ってくれる人も助けてくれる人もいなくなった。人に頼らず、しっかり生きていかなければ。そう思うほど、私は父に頼り切っていた。

もしかしたら、今でも私は父を心の拠り所にしているのかもしれない。
どうにもならないこと、出口の見えない不安がある時、必ず私は心の中で祈ってしまう。

「パパ、お願い。

助けて。

守って」

心の中でそう父にすがるだけで、なんだか安心するのだ。

生きていようが亡くなっていようが、きっと父は私を護ってくれるはずだと信じている。

ちょっと馬鹿げたことだと頭ではわかっているけれど、本気でそう信じている。

50を過ぎてもまだまだ道に迷うこと、後悔することの連続だ。

どうしていいのか分からずに途方に暮れて、気持ちが落ち込むこともある。
性格上、そんな時はありとあらゆる行動によって打破していこうと思うのだけれど、うまくいかないこともある。
そんな時、私はいまだに父を必要としている。





頼れる人はいないと思っていたけれど、実際は家族がいてくれる。
かつて日本にきたばかりで頼りなかった外国人の夫も、今では立派に家族を支え、苦しいときにはそばで「大丈夫」といってくれる。

笑顔で「大丈夫!」と、ブルドーザーさながら問題解決に行動する姿はバイタリティーに溢れていて、そばにいると安心できる。

それでも人は万能ではない。全てがきれいに片付くわけではないこともある。

そんな時、最後はやはり父にたどり着く。

父が夢に出てくるのは、私がつらい時だけ。この15年変わらずだ。

夢判断などはあまり信じていないから、きっとその夢の意味は、私の心理的安心のために作り出されたものなのだと思っている。

夢の中で父がいつものように笑っていたから大丈夫なのだろう。

そう思って、頑張ろうと思えた。

父の夢は私にとって神社でいただく御守りみたいなものなのかもしれない。。。