昨日は久しぶりに外に出た。
自粛と称した引きこもり生活を数日間送っていたのだけれど、さすがに限界がきた。
銀行への支払いや買い物など、やらなければいけないことが目の前に積み重なってきてしまったのだ。
社会と距離を置いて生きるのは難しい。
生憎の雨だったけれど、この雨で新型コロナウィルスも地に落ちて流れるかも⁉︎などと思いながら家を出た。
銀行も買い物もいつも朝一で行くようにしている。新型コロナに関係なく、普段から混雑したり並んだりするのが好きではないから。
しかし、都会の朝は始まるのが遅い。アーリーバードからすると遅すぎる。
9時に銀行でのあれこれを済ませた後、スーパーへ行く。スーパーに関しては比較的早くから開いている店、また24時間営業のところもあるので助かる。
人もまばらなスーパーの中、レジの行列も爆買いしている人の姿もない。
ゆっくり買い物できるわ!と思ったのも束の間。。。
あらゆる商品棚がスカスカ。。。
びっくりした。
このスーパーでこんな光景は初めてだった。私が引きこもっている間に、沢山の人がお買い物に精を出していたのだろう。
スーパーの中をぐるりと歩くと、欠品になっているものは、ほとんどが保存のきくものばかりのようだった。
お米、乾麺、カレーやシチューのルー、調味料、ペーパー類。。。
それはそれは見事なまでに棚から姿を消していた。
ニュースで知ってはいたけれど、その光景を実際に目にして、どれほどの人が今回の事態に不安を抱いているのかを実感した。
私は東日本大震災の頃から、食料や雑貨の備蓄は常にしてあった。そのせいで、今回もスーパーやドラッグストアの行列に並ぶ必要はなかったけれど、それでもこの光景を見ると焦りを感じるのが正直なところ。
備蓄はしてあるとはいえ、今回のような先の見えないものとの戦いとなれば、どれだけの長期戦になるかはわからない。使えばやがて備蓄は尽きる。
流通が滞ることはありません。
そう言うけれど、2月にこれから量産します!と言っていたマスクは、未だに不足しているのが現実だ。
今後、感染拡大がさらに広がり、食料品などに関わる労働力が減少、また失われる可能性もゼロではない。
物はあっても、それを動かす人がいなければ、流通はしない。
車は沢山あるけれど、それを運転する人間がいなければ動かないのと同じだ。
悪い想像をすればキリがなく、不安によって物を買い漁る人を非難する気にはなれない。
ただ、ここでちょっと冷静にならなければいけないと思うのは、物を買うにはお金が必要だということ。
これからますます経済は傾いていく。どこの家庭でもそれなりに影響は出るはずだ。
リストラなどという事態にならなくても、給料の何割かをカット。そんな話も知人などから聞こえ始めている。
お国が助けてくれるだろうなどという期待はもはやない。補償や助成を求める声に対してそれらしいことを言いながらも、1住所にマスク2枚配布?
うち、4人家族なんですが?
ジョークにしかならない。。。
助けが来るまでに溺れ死んでしまいそうだ。
とにかく、自分だけが安全なわけではない。明日は我が身なのだ。そんな中で必要以上に散財してしまっては、この先の生活の方が不安だ。
予測不可能な事態に我を忘れそうになるけれど、こんな時こそちょっと冷静になって、本当に必要なのはなにか、それがどれだけあればいいのか、どう備えるのか、自分の生活を省みて考える必要がある。
スーパーの空っぽの棚にちょっとだけ心を揺さぶられたものの、結局は買う予定だった生鮮食品だけをカゴに入れた。
幸いなことに野菜も肉も魚もいつも通りの品揃えだった。
スーパーでの買い物を終えても、それで終わりではない。一度外へ出たからには、すべての買い物を一気に済ませたい。
そうすれば、またしばらくの間は引きこもることができる。
しかし、ここからが問題で、ちょっとした家庭雑貨などを扱うお店は11時にならないと開店しない。
一度帰宅してまた出直すのも面倒なので、たまに行くカフェで時間を潰すことにした。
ここでこの日2度目のびっくり。
なにがって、いつも賑わっているはずのお店があまりに静かだったから。
何十席もある店内にお客さんは3人。
「今日はずいぶん静かですね」
店員さんに声をかけると、やはりコロナの影響でここのところガラガラだという。
「こんな時でもお店は営業しなければなりません。来ていただくだけでありがたいです」
そんな言葉を聞くと、合わない歯車だけがガクガクと回っているように感じて複雑な気持ちになる。
自粛せよとする一方で、その自粛に苦しむ人がいる。
何度も言うけれど、国による補償をどれだけ叫ぼうが、この国にそれを期待できるのかは疑問だ。
それならばどうしたらいい?
バブル崩壊後、リーマンショック後、東日本大震災後、これまで大変なことはあった。それでも運に助けられ、深手を負うことはなったけれど、そうでない友人知人も少なからずいた。地べたに叩きつけられ、2度と起き上がることができないほどの傷を負い沈んでいった者もいた。
それでも、もちろん国は助けてはくれなかった。どれだけ忠実に高額な税金を納めてきても、それが報われることはなかった。
そんな過去に想いを馳せれば、結局はどんなことをしてでも自分で生きて行くほかはない。
答えはそれしかないように思う。
この日は「びっくり」に遭うたびに暗くなるばかりだとおもっていたけれど、最後にちょっと嬉しいサプライズもあった。
午前中、たった3時間あまりの外出だったけれど、最後のビックリはちょっと心が明るくなることだ。
満開の桜にびっくり!
日本人にとっては毎年見ている光景で、今更「花見だ!」などと浮かれることはないけれど、やはりいいものだなと思う。
外国人の夫はもう20年以上も日本にいるけれど、春になるとさかんに桜の美しさを語る。
いつもは「ふ〜ん」と気のない返事ばかりの情緒のない私だけれど、世の中が暗く沈み込んだ時にあらためて見る桜は美しい。
目黒川や上野公園のようなところへ行かなくても、日本にはあらゆるところに桜の木が美しい花を咲かせている。
我が家の近所にも大きな桜の木のあるお宅がある。
通りすがりにちょっと見上げるだけで、なんとなくウキウキとした気分になるものだ。
人混みへ行かずとも、たった一人でもお花見はできる。
これまでは割とどうでもよかったことだけれど、こんな時だからこそ、散る前の満開の桜を愛でることができてよかった。