In other words

I really don't know life at all ...

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「マスクありますよ」と声かけされた夜のスーパー。モノがモノを呼ぶ「類は友を呼ぶ」現象と物を大切にするということ。


小さなアベノマスク。大切にいたします。


数日前、夜のウォーキングついでにスーパーへ行った。時間は9時を過ぎていて、店内には買い物をするカップルが3組ほどいるだけで、とても静かだった。

あまり外には出ないので、どんな状況がわからなかったけれど、夜は案外狙い目なのかもと思った。

翌日の営業に備えてか、生鮮食品以外の物はちょうど品出しをしている時間だったのか、いつもは切れている商品も沢山並んでいた。

それでも最近品切れが騒がれている小麦粉は一つもなくて、「本当にないんだな」と少し驚いた。

それにしても何故に小麦粉か?

どうやら長引く自粛にお家でベーキングする人が増えているせいらしい。

確かに小麦粉を練り練りするのは楽しい。小さな子供なら粘土遊びのようで、親子で楽しめるだろう。

小麦粉だけでなくドライイースといったものまで不足しているので、お菓子作りのみならずパン作りをする人も増えているだろう。

普段から小麦粉いじりが大好きで、パンを焼いたり、クッキーやケーキを作ったりもする家庭なので、これらの品物は我が家にはなくてはならないものだ。
本来ならこの状況に焦りを覚えるところだけれど、幸いにして緊急事態宣言が発令されるずっと前に、ある程度の買い置きをしておいた。

あれは、そろそろ自粛が始まろうかというころだったか、我が家では恒例の「山を張る」ということをした。

なにか「普通ではない事態」という空気が漂うと、決まって今後何が不足するか「山を張る」のだ。

「山を張る」とは、リスクのある賭けをする。
山は鉱山のことであり、どの山に金鉱が隠れているかを予想して、そこに投資するという山師の所業だ。

それはただ感に頼っての予想ではない。山の周りで起こっていることなど、その周辺の様子を探りながら張る対象を選ばねばならない。

食材や雑貨を備蓄することは、本来の意味のように大きなリスクがあるわけではないけれど、外れれば相応の備蓄を抱えることになるから、我が家ではあえて「山を張る」などという言い方をしている。

今回の新型コロナでは張った山がことごとく的中した。
水やトイレットペーパーなどは普段から十分に備蓄しているものだけれど、マスクや小麦粉は備蓄してあると言っても消耗品だ。ある程度の量を確保していても、使用してしまえば確実になくなっていく。

中国武漢がコロナでワサワサし始めた頃「次は日本か?」と当然思った。
チャイニーズニューイヤーを前に、国内へのコロナ流入は予想できたことで、これはちょっと大変なことになるかもねと、夫と話していた。

武漢でマスクだらけの様子を見て、まずマスクを買った。私は季節に関係なく日常的にマスクを使用しているので、なくなっては困ると思ったのだ。
その頃は50枚入り¥500程度の品が山積みされていた頃だったので、数箱買っておいた。

その次に買ったものの一つが小麦粉だった。自粛生活中のお菓子作りが目的ではない。
地震などの災害時も視野に入れてのことで、いよいよ食べるものがなくなったら、自分でパンを焼いたりピザやうどんなど、小麦粉さえあればなんでも作れると思ったからだ。

さすがに小麦粉の品切れがここまで来るとは予想もしなかったし、我が家の子供達までがまさかのお菓子作りフィーバーするとは想定外だった。
今となってはもっと買っておけばよかったという結論になったのだけれど、スーパーの棚はすっからかんだ。

「まぁ、仕方ない。小麦粉がなくなっても生きていけるし」と、執着することなく小麦粉のことは忘れることにした。

しかし、買い物へ行ったついでに寄ったコンビニにたまたま小麦粉が大量に並んでいたのを見つけたのだ。どこのスーパーにもないのに、偶然にもあったという運のよいお話だ。
毎日どんどん減っていく小麦粉に危機感があったため、この時は一つだけ買ってかえった。

これはとても運がよかった。しかしコロナに関する品不足に関して運がいいのは小麦粉だけでない。マスクに関しても同じく運があるようだ。





件のスーパーへ行ったときのこと。
タイミングなのだろうけれど、そこに普段はないトイレットペーパーやマスクが適正価格で普通に並んでいた。

どちらの品物も我が家には十分な備蓄があるので、野菜や肉など生鮮食品だけを持ってレジへ行った。

夜にもかかわらずとても元気な店員さんが、「マスクは大丈夫ですか?今ならありますよ。消耗品なのでもし必要ならどうぞ」
そうご親切に声をかけていただいた。

とてもありがたいことだったけれど、我が家にはまだまだたくさんあるのでご遠慮させていただいた。

さて、こんな声かけをされたのは、これが初めてではない。これまで過去に3回、ドラッグストアやコンビニでも「今ならありますよ!」と声をかけて頂いたことがある。
声かけをされる前に、マスクが販売されているところに遭遇したことも何度かあった。
しかも、どれも7枚で¥260程度の良心的なお値段のものだった。

今は少し普及しているようなのでそんなこともあるだろうけれど、マスク争奪戦が激しかった3月、4月頃の話だから、マスクは遭遇率はかなり高かったと言えよう。

ニュースでは連日開店前からドラッグストアに行列ができているとかなり騒がれていたので、なんだか皮肉なものだなと思った。

雨の日に早朝から並ぶほどマスクを必要としている人の元にはなかなか来ないのに、私のように備蓄があり買う必要のない人間は、求めずとも出会えるという不思議。

ここで思い出したのが、以前富豪の友人が言っていた言葉だ。

「お金はね、お金が大好きなの。だから、よりお友達の沢山いるところに集まるのよ。類は友を呼ぶと同じに」

「確かに、そうかもしれない。だからあなたはところは、いつも有り余るほどあるのね〜」

などとふざけて言っていたものだけれど、これはお金だけに当てはまることではないのかもしれない。

どんな「物」でも、お友達と集いたいといった同質のものを引き寄せる原理といったものがあるのではないだろうか。

自分が好きにならなければ、相手も好きになってはくれないとも言える。
誰だって自分のことが好きで必要としてくれる人に心が傾いていくものだ。

それは人だけでなく「物」にも言えることなのかもしれない。
マスクも小麦粉も私にとってはなくてはならない物で、普段から頼りにしていたり、楽しませてもらったり、常にそばにあって欲しいものなのだ。

だからこそ、出会う運が巡ってくるのかもしれない。
もしも「物」に心があるのだとしたら、お友達がたくさんいて、それを大切に思ってくれる人のもとへ行きたいと願っているのだろう。

昔から「ものは大切に」と言われ育った。それにはこんな意味もあったのかと、なんとなく思った。。。