私はパンを焼くことが好きなのだけれど、自分ではほとんど食べることはない。
アラフィフという年齢になり、さすがに外国人夫と同じ食生活では、自身の健康を脅かすことにもなりかねないと、小麦粉の摂取も控えているのだ。
別に糖質制限をしているわけではない。自分で作ったパンの味見をしたり、美味しそうなパンを見つけた時などは、食べたりもしている。ただ、以前のように山ほど食べるということはしなくなった。
40代の頃までは無駄な早起きを利用して、家族に焼きたてパンの朝食を食べてもらおうと、毎朝パンを焼いていた。
焼き立てのパンはとても美味しくて、毎朝家族で焼き上がりを楽しみに、ワイワイと食卓を囲んだものだ。
その後、大病をしたりで毎朝パンを焼くことが無理になったため、今度はホームベーカリーを購入してみた。
これは自分で捏ねる楽しみこそないけれど、とても楽な上、美味しく焼けるので、しばらくはホームベーカリーのお世話になっていた時期があった。
しかし、2年ほど前だっただろうか、使用していたホームベーカリーがかなりくたびれてきたのを機に断捨離。
新しいものを買うつもりでいたのだけれど、ホームベーカリーのなくなったキッチンがやたらスッキリと見え、パンが焼きたければまた自分で作ればいいしと購入するのをやめた。
焼き立てのパンというのは、独特の美味しさがある。どんな有名なパン屋さんのパンよりも焼きたてには敵わないと、我が家の外国人夫はいつも耳にタコができるほど言っている。
一時期やめていたパン作りを再開したのは昨年の2月ごろだったと記憶している。
何がきっかけだったかすでに忘れてしまったのだけれど、サワードウブレッドに興味を持ち、自分でも作ってみようと発酵種作りから始めたのだった。
元々小麦粉いじりは大好きだったこともあり、すっかりサワードウブレッド作りに夢中になった。
しかし、このパンは以前作っていたような、ドライイーストを使用したパンと違い、とにかく時間がかかる。
朝、スターター(発酵種)を元気にするところから始めて、生地を焼ける状態にするまでに半日はかかるのだ。
これでは焼き立てを毎朝食卓に出すというわけにはいかない。そもそもサワードウブレッドは焼きたてよりも少し時間をおいた方が美味しくなるというから、夜焼いたものを翌朝食卓に出すといった具合なのだ。
そのように手間のかかるパン作りをしているため、終日在宅の日にしか作ることができない。
いくら無職の専業主婦とはいえ、毎日毎日家に閉じこもっているほど暇ではない。忙しくもないけれど、丸々一日家にいてパン作りをするとなると、不定期にならざるを得ない。
私の場合は今はパンよりもお米を主食としているので問題はないけれど、外国人である夫は毎日の食事にはパンは欠かせない。
できることなら毎日でもサワードウブレッドを作って欲しいと言うけれど、私はパン屋さんではないので無理なのだ。
自分で作れない時は、出かけたついでにパン屋さんに寄って外部から調達している。
さすがにサワードウブレッドを作っているパン屋さんは近隣にないのだけれど、美味しいパンは今の東京では至る所にある。
とにかくあちこちにパン屋さんがあるため、困ることはないと言いたいところなのだけれど、今はパン屋さんと一言で言っても様々なタイプがある。
必ずしも自分の求めるパン屋さんがあるということではないのだ。
私の行動範囲内に限って言えば、大きく分けて3種類の違ったタイプのパン屋さんがある。
あくまでも大きく分けてなのだけれど、「3種類のパン屋さん」とは、主に以下のようなタイプだ。
①昔ながらのパン屋さん
焼きそばパンやメロンパン、チョココロネなんかが並んでいる、何十年も前からその土地にある街のパン屋さんで、わりと初老の夫婦が営んでいる個人経営のお店が多い気がする。
②boulangerie (ブーランジェリー)
「フランスの◯◯で修行してきました!」というパン職人さん自らが厳選した小麦粉で作るという、こだわりのちょっと小洒落たフレンチチックなパン屋さん。
こちらは比較的若い店主が経営されているケースが多い。
③新旧混合型パン屋さん
そして最後の一つはこの両者の中間的なパン屋さんだ。
これはクリームパンやメロンパンが並ぶ横にバゲットなどハード系もあるというパン屋さんで、私が思いつく代表的なところでは『ポンパドール』などを想像していただければ分かりやすいかと思う。
個人経営ではなくチェーン店化されているお店が多い。
ざっとこのような感じなのだけれど、我が家の近隣にはこの3種類、すべてのパン屋さんが揃っている。
比率としては都心部という場所柄か、断然②に分類されるブーランジェリーといった形態のパン屋さんが多い。
そのせいか、外国人夫も子供達もパン屋さんといえば、そのような小洒落たパン屋さんへ足を運んでいるようだ。
私も家族のために買う時は、必然的にそういったお店でお買い物をするのだけれど、自分が「パンが食べたい!」と思った時は、他のパン屋さんへ行くことの方が多い。
お惣菜パンが食べたい時は、古くからあるお年寄りのやっている①のようなパン屋さんで、コロッケパンやキュウリにマヨネーズたっぷりの野菜サンドなどを買う。
もう少し甘いおやつのようなパンが食べたい時は③のようなパン屋さんへ出向きクリームパンやあんぱんなどを買う。
昨年、我が家の近所にあった③形態のパン屋さんが一店閉店した。
他にも少し離れたところに別店舗があるので困ることはないのだけれど、ちょっと悲しかった。。。
①のようなパン屋さんに至っては、もう1店しか残っていない。
一方で②のようなブーランジェリーは増える一方だ。。。
これは需要によるものなのだろうか。
我が家の子供達の傾向を見ていても、ちょっとお洒落な感じのするところを好む。
昭和の味をリアルに体験していない世代にとっては、やはりふわふわのパンにコロッケが挟んであるような惣菜パンは、近しいものではないのかもしれない。
街中でも有名なブーランジェリーは常にたくさんの人で賑わい、インスタなどでもそんな豪華なパンが花盛りだ。
人気店ともなると、大行列で数時間待ちという店もあるくらいだから驚いてしまう。
百貨店で催されるパンの催事でも、連日多くの来場者があり、人気のパンはあっという間に売り切れるとかなんとか。
その一方で、昭和世代が幼少の頃に親しんだ、懐かしのコッペパンが突如大流行したりするものだから、こうなると意味がわからなくなる。。。
あのコッペパンブームはもう去ったのだろうか?
外国人夫曰く、日本人は新しいもの、流行っているもの、外国のものが大好きだと。そして飛びつくのも早いけれど廃れるのも同じくらい早い。つまり限りなく流行を追い求める民族であると言う。
だからこそ、一個500円以上もするようなパンが普通に売れていくのだと。
これはまったく否定はできないことだ。
私も新しいものは大好きだ。そして食べたいと思ったら、多少高くても買って食べる(笑)
そんな人気のパンを追い求める人の中に、どれだけそのパンの美味しさ、こだわりの小麦粉の旨みを理解できる人がいるのだ?とも言っていた。
これは私がよく外国人夫に対して、「本当のお米の美味しさは、子供の頃から米に親しんでいないあなたにわかるまい」というのと同じ理屈のようだ。
目には目を、歯には歯を。。。
しかし、日本人のパン職人さんの中にも、本場以上に美味しいパンを焼く人はたくさんいる。世界で行われる大会でどれだけの日本人が評価されていると思っているのだ!
そう言ったところ、
「その人達はプロだからだ。プロと素人は違う。パン作りに関しての素人がいくらどこそこのパンをどれだけ食べました!などと言っても、美味しいという感想くらいのものだろ?」
確かにパンを食べても「これはあのタイプの小麦粉が使われているのだな。この甘み、酸味を考えると酵母はあれを使っているだろう。。。」などとは、とてもじゃないが口にはできない。
私だって若かりし頃は、ヨーロッパで散々美味しいパンを食べまくっていたものだ。それでも正直なところ、お米の美味しさを語るのと同じようにパンの味を語ることは正直できない。悔しいけれど夫の言う通り「美味しい」というくらいのことしか言えそうにない。。。
子供の頃からパンを食べてきた外国人に比べれば、それほど小麦粉に精通しているわけでもなく、食体験もあるわけではないからだ。
私としては、何を食べるにも細かいこだわりはなく、ただ純粋に自分が「美味しい」と思えるかどうか、それが重要なので、外国人夫のように余計な分析などはしないけれど。。。(笑)
若い頃、ヨーロッパを旅していた時、早朝の街を歩きながら、鼻をクンクンさせてベーカリーを見つけ、開店したばかりの店で焼き立てのパンを買って朝食にしていた。
それらを思い出してみれば、どこの街でも普通のパン屋さんで、決しておしゃれとは言えないようなおじさん、おばさんが忙しく立ち働いていたような店だった。
そこには普通の人が営む街の風景があった。
私にとってのそれは、ブランド化されパリの街角が似合うような洒落たパン屋さんではなく、庶民の朝食を支えているような、街のパン屋さんなのだ。
つまりは日本で言うところの①に該当するパン屋さんということなのである。
そんな街の風景をおかずにしたようなパンは、どれもとても美味しく感じられたものだ。
正直なところ、私はシンプルなパンであれば、日本のふわふわ食パンよりも、ハード系の方が好みだ。
メゾンカイザー のモンジュも大好きだし、ヴィロンの雑穀のパンも、ポールのクロワッサンも、いわゆるブーランジェリーのパンももちろん大好き!これじゃなきゃ!というパンもあったりする。
しかし、それと同じくらい、昔ながらの街のパン屋さんが作る惣菜パンも私にとっては捨てがいものなのである。
だからこそ、①や③のようなパン屋さんが姿を消していくのは寂しくたまらない。
街の喫茶店が姿を消し、海外からきたカフェ一色になりつつあるのと同じ、古きよき馴染みの店がなくなっていくのを切ない思いで見ている昭和の専業主婦には、かつてあった東京がどんどん知らない街になっていくような気すらする。
若い人にとってはきっとそんな東京もエキサイティングなのかもしれないのだけれど、昭和の時代を生きてきた中年にとっては、やはりあの子供の頃ののんびりとした街が懐かしく思えるのだ。
新型コロナの影響も多分にあるのだろうけれど、古くからあったお店が閉店するというニュースをよく聞くようになった。
その度にまた一つお世話になってきた懐かしのお店が消えていったと悲しくなるのだ。
一方で新しいお店も次々とオープンしている。パン屋さんも然りで、気づけばあちこちにブーランジェリーだ。。。
時代の変化にしっかりと対応して生きてかねばとの思いは常にあるけれど、ずっとそこにあると思っていた古き良きお店が姿を消していくのは、そのまま自分が置き去りにされたような気にもさせられ、寂しさを覚えるのだ。
そこに温故知新の精神を見ることができれば少しだけホッとするのだけれど、ブーランジェリーばかりになった街を見ていると、なんとも虚しい気持ちになったりする。
ニッポンの古き良きパン屋さんは何処に。。。などとブーランジェリーまがいのサワードウブレッドを作りながら、思う昭和の主婦なのである。
一つ忘れていた。上記3種類のパン屋さん以外に例外のパン屋さんがあった。
パンといっても自分では焼けないパンを売っているお店だ。
私にとってのそれがドイツパンである。
以前、メインブログの記事にしたプンパニッケルなどは、やはりお店頼りになってしまう。
そんな専門的なパンのお店は、競合が少ないせいなのか、頑張っているお店が多いと思っていたのだけれど、やはり近隣の老舗が一つ姿を消した。。。
こんな自分ではどう頑張っても作れそうにないパンを作ってくれるお店がなくなるのはつらい。
お洒落なお店よりも私にとっては、そんなお店が必要なお店なのかもしれない。
日本の朝食でも今や白米よりもパンを食べる家庭の方が多くなっていると聞いたことがある。
日々食卓にならぶものであるなら、ブーランジェリーといったタイプの高級パン屋さんだけでなく、リーズナブルな①タイプのパン屋さんの復活を願いたいものだ。