In other words

I really don't know life at all ...

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友達がサイコパスかも知れないと思った時、そんな友達と長年付き合っている自分もやっぱりサイコな一面があるのかと思った件。

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ちょっと面白い友達がいる。面白いというよりは、多くの人にとってその友達は困った人だと言われている。。。

どう困った人間かと言うと、社会の常識というものが通用しない人間といったところだろう。

常識にとらわれないとか、型破りなんて言葉は、なんとなくポジティブな響きがあったりするのだけれど、実際それは一部の天才など選ばれし人にのみ通用するものであって、普通の人にとってはそんな格好のいいものではない。

その友人だって、その常識のなさから生活自体が破綻している。さらにはそれを自覚することなく、自分は全て善であり、物事の全ての悪は他人からもたらされるのもだと信じているという、究極の自己愛を持って生きているがために、人様にとって迷惑な存在として認識されてしまっている。

どんな風に迷惑かといえば、例えば仕事。会社での規律は守らない。本人曰く「それは常に正しい訳ではないから」ということなのだけど、他人から見たら「あなたの方が正しくないじゃない」と10人いれば10人が口を揃えてそう言うようなことだ。

昔、新しい会社に入社したばかりのその人が、嬉々として新しい仕事の話をしてくれたことがあった。
制服がありながらも、それを「クリーニングし忘れたから」という理由で超ド派手な私服を着用してたところ、上司からこっ酷くお説教をされたという内容だった。

彼女の理屈からいえば、それは「臨機応変に対応した」ということなのだけれど、融通のきかない無能な人間のせいで、自分の立場を悪くされたと息巻いていた。

また別の時は部署替えをされた時、窓際へ追いやられたことに対する陰謀説を唱えていた。
彼女曰く自分のいた部署は特別な人間だけが配属されるポジションであり、とても難しい仕事だそうなのだけれど、彼女は「私以外、みんな無能。」「私は努力をしなくても、なんでもできるらしい」「私は指導員までも指導する立場なので忙しい」と、その難しくも新しい仕事が順調であると語っていた。
しかし、1週間後。彼女は試用期間終了と同時に退職となった。
彼女の説明によると、指導する側よりも仕事ができてしまうから疎まれたのが原因だと。彼女の有能さを嫉妬した無能な上司の陰謀で退職に追い込まれたとのことであった。

本当かどうかは確かめようがない。
ただ、その難しい仕事は、彼女にとっては初めての職種だった。専門外であり、まったく知識のない、ゼロからのスタートにも関わらず、指導員を指導する立場というのがどうも解せなかったが、面白くもある。





彼女はいつもそうなのだ。
恐ろしいまでの自己評価の高さによって、自分を認めない人間はみんな無能であると本気で思っている。

その仕事の件も、その後に別の人から伝え聞いたところでは、当初の自己アピールは全て嘘であり、実際に仕事を始めてみたらまったく使い物にならなかった。それならと別のもう少し楽な部署へ移動させたが、そこでもやはり能力が足りずに、結局は試用期間が終わったと同時に解雇されたとのことだった。
人づてに聞いた話だから、それもどこまで本当かは定かではないけれど。。。

私生活においても同じだ。結婚して家庭を持っていたが、仕事も家事も育児もせずに、ただ自分を高く見せることだけにお金も時間も労力も費やしてきた。
その挙げ句、家族は全員去っていった。

私や周りの人間は長年にわたりその一部始終を見ていたから、十分に納得できる出来事であったのだけれど、これをただ一人家族は「去った」のではなく、こちらが「捨てた」と思っている人がいた。
それが当人なのだから、こちらはこれまで見てきたことは夢か幻だったか?と混乱させられる。

友達同士の約束も平気で忘れた挙句、怒る相手に「リマインドしなかったあなたのミス」と平気で言い、さらに相手を怒らせ、多くの人が彼女から去っていった。

それでも彼女はいつも、自分の周りにはものすごいお金持ちや社会的地位のある友人がたくさんいて、「いつも私を助けてくれるの」と思い込んでいる。

ただ、どうしてだか、私はその人とウマが合う。見ていて愉快なのだ。
その罪悪感のなさや、呆れるほどの自己愛の強さは、もはや尋常ではなく、どうしたらこの様にはちゃめちゃに生きられるのだろうと興味が尽きない。

実際に会話をしていても楽しいし、気を遣うこともなく過ごせる。





50を過ぎても人間関係に悩む人は多い。暇さえあれば人の噂話、陰口を言いながらウサを晴らしているような人がたくさんいる。
それは、この歳だからこそ、自分の送る人生がどういったものであるか、その答えを各々が持っているからだ。

お金の心配をすることなく、子供が巣立ったあとは、自由に自分の時間を楽しめる人間もいれば、明日の生活費にも困り、パートを掛け持ちして疲れ切っている人もいる。

他者と自分を比べて、「どうして自分ばかり。。。」と卑屈になり、嫉妬人を抱えながら、人の陰口を言うことで自分を慰めているような人もいるのだ。

しかし、困ったちゃんの彼女には、そんなところが微塵もない。
今の彼女は50を過ぎてなお、借金だらけの一人暮らしだ。
毎日朝から晩まで仕事をして、クタクタになっているというから、生活自体は大変なのだろう。

しかし彼女の場合は、自分が惨めな生活をしているとは決して思わないのだ。
借金まみれであっても、周りには裕福で地位の高い友人がたくさんいて、職場の若い子たちには「若くて美人ですね」と毎日チヤホヤとされ、誰もが自分に一目置いていると信じているから。

つまり、彼女は「自分以外の人間を見ていない」というのが根本にあるのだ。
相手がどう思っているかを推し量る前に、自分がどう思われたいかが答えとなる。

だからこそ、彼女の中では「嫉妬」という感情は存在しないのだ。
自分よりも美しい人、自分よりも裕福な人、自分よりも能力の高い人は、彼女にとっては自分を高く見せるためにしか存在しない。
ある意味で彼女自身が孤高の存在であると心底思っているのだ。





彼女のことを「サイコパスなんじゃない?」と言った人がいた。

平気な顔で嘘をつく。
他人の痛みに鈍感。
自己の行動に対する責任感の欠如。
自尊心が高く自己中心的。
口がやたらと達者。
罪悪感の欠如。

サイコパスの代表的な特徴を挙げてみると、なるほど大方当てはまっている。
というよりも、彼女そのものだ。

しかし、これは多かれ少なかれ、誰でも持っている一面ともいえなくはない。
すべてとは言わないまでも、自分にも時として当てはまるところがある。

実際に彼女に言われたことがある。

「あなたは時々、、ものすごく破壊的になるな。まるで、反抗期の手に負えない中学生みたいな感じ」

そして、「生きづらいでしょ?」とも。

ちょっと心外だった。私なりに社会に適応しようと、そして少しでもよい人間だと自分自身でも思えるように、なるべくひっそりと暮らすよう心がけてきたのに、破壊的だと?手に負えない中学生だと?

それでも冷静になって考えてみると、生きづらいと感じることはよくあるし、なにかタガが外れると、めちゃくちゃなことを言ってみたり、してみたりすることはある。さすがに50歳を過ぎた今はそんなこともなくなったけれど、何十年もずっとそんな不安定だったことは否めない。

なにかあると、困ったちゃんな彼女は「うん、うん」と私の話をきく。
そして「えー⁉︎」「そうなの〜」「ひぇ〜」などと変な相槌を打ちながら、最後には「この社会がおかしいんだよ。誰かの陰謀だね」などと訳知り顔で言うのだ。

それがなんとも面白い。どんな腹立たしい出来事も他人の理不尽な振る舞いも、なぜそうなったのか、自分に非はなかったかを問うことなく、陰謀説でまるっとまとめて社会のせいとして包み込み、その辺にポイっと投げ捨てる。ある意味、爽快だったりもする。

もしかしたら、困ったちゃんの彼女と平気で付き合える私もまたサイコパス的要素を持っているのではないかと思えてきた。

類は友を呼ぶ。。。
そんな言葉が頭に浮かぶ。

周りからは相変わらず、「なぜあの人と付き合うの?」「トラブルの元になるわよ」などと忠告を受けている。
更には「借金のお願いされるから離れた方がいいんじゃない?」などと、余計な心配をしてくる人までいる。

そう言われているうちは、まだ私のサイコパスな一面は露呈していないということなのだろう。
いや、自分がサイコパスかどうかわからないけれど。。。
多分違うだろうけど。。。

まぁ、それはどちらでもいい。人様に迷惑をかけるようなことがなければ、好きに生きていきたい。

一生懸命に真面目に生きることは大切で、私も願わくばそうした人間になりたいと常々思ってはいる。
ただ、正しく生きようとするあまり、メンタルを病み、苦しんでいる人も少なからずいるのも現実だ。

そうしたことを考えると、ちょっと破綻しているけれど、自己愛全開で生きている彼女の方が実は幸せなのではないかと思うのだ。

たとえ、サイコパス呼ばわりされようとも。