In other words

I really don't know life at all ...

Sponsored Link

専業主婦という生き方を選択したのは正解だったのか?子育てを終えた今、思うこと。


毎日呑気にサワードウブレッドを焼くことができるのも、専業主婦だからこそだろう。。。


かなり前、「年を重ねるのは素敵なことなのか」というお話を書いたのだけれど、書いている途中、いつもながら色々な思いが横入りしてきて、危うく大脱線するところだった。
一度脱線すると、饒舌な専業主婦という生き物は後戻りすることができない。
なんとか「これは次にお題にしようと」持ち堪えたのだった(笑)

脱線した行き先は「仕事と家庭」、つまり家庭を持った女性が働くことについてだ。

子供を出産して以降、アラフィフになったあたりで、気まぐれに短期のパートをしたことはあったけれど、それを除けば20年以上はどっぷりと専業主婦をしてきた私には、まったく的外れなトピックだ。
そう思うのだけれど、自分の選んだ人生が正解であったのか?そこに後悔はあるのか?じっくり考えてみようと思う。


まず、私はなぜ専業主婦になってしまったのか?
若かりし頃、特にキャリア志向というわけではなかったけれど、仕事で忙しくしていることがとても楽しかった。
今時の感覚では考えられないワーカーホリックである。
働けば働いただけお金が懐に転がり込んでくる時代だったから、忙しければ忙しいほどに、預金の残高は増えた。
結婚も子供を持つこともまったく興味はなかった。このまま一生自由に仕事をして稼ぐ気満々の20代だった。。。

働くこと=お金を稼ぐこと。
そう考えていた私にとっては、仕事そのものの充実感よりも、お金を稼ぐということが楽しかったのだ。

もちろん、日々新しい人と会ったり、見知らぬ土地を訪れることも楽しみの一つではあったけれど、どう考えても働くモチベーションはお金以外になかった気がする。

ここが、今思えば、専業主婦への道へ繋がったのではと思う。

自分が働かずとも、夫が働くことによってお金が入ってくるなど、こんな素晴らしいことはない。

どんなに働くことが好きでも、稼ぐことが好きでも、そこには必ず代償がある。
仕事をしていれば、頭から湯気が出るほどの怒りを覚えるような出来事もあるし、メンタルおかしくなるのではというくらいのストレスに見舞われることもある。
それでも働くのは、お金が欲しいからだった。
今思えば、夢のないとても下世話な若者であった。。。

自分がそんな過酷な世界に身を置かずとも、夫という他人がお金を運んできてくれる専業主婦という生き方。。。
今、改めて考えると、私にとっては悪くない選択だったのかもしれない。

ただ、専業主婦になったのは、お金が理由ではなかった。





最大の理由は子供だ。

仕事か、子育てか?
多くの女性はここで、一度は悩むことだと思う。

私も悩むほどの深刻さはなかったけれど、「どっちがいいかしら?」くらいは人並みに考えたと思う。
昔のこと過ぎて、よく思い出せないが。。。

昭和生まれの我々にとっては、結婚したら仕事を辞めて専業主婦になるというのは、なんら特別なことではなかったけれど、仕事をするという選択肢も皆無ではなかった。
実際、周りには志高くキャリアを守ろうとしていた人もいた。

知人のキャリア女性は、仕事第一と割り切り、子供は産むだけ、子育てはすべて実母に任せ、仕事に邁進した結果、欲しい地位を手にしたという。
ここまで潔いと逆に天晴れだ。しかし、ここまで割り切れる女性は少ない。

家族と仕事を天秤にかけて、完全に家族を切り離すことは難しい。

私も最初の子供が生まれる時に考えた。自分が望む人生とはどんなものなのかと。
結局、私は「子供を育てる」ことを選んだ。仕事をするのは好きだったけれど、我が子をたとえ一時でも人に預けることができないと判断したのだ。
保育園などで働く方々は、本当に一生懸命にやってくれているのだと思う。それは街を歩いていてすれ違う、保育園児のお散歩風景を見ていて感じる。

人に預けられないというのは、預ける先の問題ではなく、私が人を完全に信用できないという性格によるものなのだ。実母にさえも我が子を託さない人間なのだから。
幸いなことに、夫も同じだった。外国人である夫からしたら、子供をシッターさんなどに預けるのは普通のこととして受けとめてはいるものの、同時にニュースなどで見聞きする、目も背けたくなるような事件も無視できないと考えていた。
おまけに外国人の夫にとって、この国は何十年暮らしていようが異国の地なのだ。何事も完全には信用していないのは、一緒に暮らしていてわかる。

しかし、預けるのが不安だから仕方なく子育てを選択したというのも違う。
子育ては私にとって未知の経験であり、それゆえに「おもしろそうだな」と思ってしまったのだ。

何事も、自分の知らない「初めて」と出会うと、ワクワクするものだ。
子育てはそんな初めての事で塗りつぶされたような生活が続くのだから、日々「へ〜」「ほほ〜」と、産まれて数年は新たなる発見に夢中になった。

産まれたばかりの小さな赤ちゃんが、言葉を発したり、自分の足で歩くようになったりする様子は、ワクワクのみならず大きな喜びすら連れて来てくれた。

子育ては、仕事と引き換えにしても、まったく後悔を感じないほど、実際に面白かった。。。

もちろん愉快なことばかりではない。イライラすることももちろんあった。
人間だもの。。。

しかし、何事も良いことと悪いことは同じバランスであるものだと思えば、そんなことも然るべきと思えた。

しかし、まさか二十数年もかかるとは、その期間に関しては想定外であったといってもいい。せいぜい10年程度で子育てを終え、また仕事をするのだろうと思っていたからだ。

ところが、蓋を開けてみれば、私は今でも専業主婦として、毎日パンを焼き、多肉植物を眺めることが楽しみという、予想もしなかった人生を歩んでいる。。。
夫の稼いだお金で遊んで何が悪い⁉︎
そう開き直った人生だ。

復帰の機会がなかったとは言わない。子供達が小学校に上がった途端に、仕事を始める人も周りにはそれなりにいた。
しかし、時間があるのは子供達が学校へ行っている間だけだ。帰って来れば、お稽古事の送迎や家庭学習など、親がやるべきことは山ほどあった。





今から思うと、多くを望みすぎていたのだと思う。完全に仕事人として復帰を望むのではなく、パートとして、短時間でも仕事を始めていれば、今頃は専業主婦などしていなかっただろうと思う。
しかし、当時の私はどうせ仕事をするなら、フルタイムで働きたかった。
仕事も子育ても、全部自分で完璧にやりたい!それが私の希望であったのだけれど、そんなことはどう考えても不可能だ。。。

結局はこの時点でも、私は子育てを選んだ。
いずれ、子育てから離れる時がきたら。。。そう思っていたのだけれど、そろそろと思った時には、50代間近になっていて、すでに手遅れであった。。。(笑)

無駄な足掻きでパートに出たこともあったけれど、長い専業主婦生活で染み付いた、家事・育児に対する責任というものは、完全に拭い去ることもできず、疲労困憊した。
仕事が面白すぎて、働きすぎてしまった上、家事も専業主婦と同じようにやろうと躍起になったためだった。もちろん無理だった。。。

疲労困憊したのは夫も同じだった。これまで、仕事だけやっていればよかったのが、私がパートで留守にする時間が長くなるにつれ、家事分担を強いられたためだ。
「もう働くのはやめたら?」と、何度も懇願された。

幸いなことに、私のパートは半年程度の短期契約ばかりだったので、一つ終わって少し休み、もう一度という感じで、3つのパート仕事を経験したのち、私は再び主婦業に専念することにした。

一番の理由は、パートをしながらの家事に疲れたから。
40代で大病をしたこと、持病も抱えているため、なによりも健康第一と、疲れるようなことは生活から排除することにした。

ここで家事をせずに仕事だけをしたいという思いもあったけれど、50を過ぎた私にはしたい仕事をするチャンスはもうなかった。
当たり前だ。20年も社会から外れて安穏と暮らしてきた専業主婦に仕事を委ねるほど太っ腹な会社などないのだ。
私が社長さんなら、そんな人間は門前払いする。

パートの仕事もそれなりに楽しかったし、やり甲斐もあったけれど、家事をせずにフルタイムで働くのなら、本当にやりたい仕事を一生懸命にやって、相応の報酬も望みたい。
身の程知らずの欲張りの考えだ。

0か100か。妥協と言うと言葉は悪いけれど、それをよしとしない意固地な性格は歳を重ねたからといって変わるものではない。





最近、「専業主婦から代表取締役になった」という女性の記事を見かけた。多少の興味を持って読んでみたのだけれど、そこに書かれていた「覚悟があるか?」という一文に目が留まった。

専業主婦が完全社会復帰するためには、どんなことがあっても頑張れる覚悟がないと、仕事を続けることはできないといった内容だったのだけれど、そこで合点が入った。

すべてはその「覚悟」ありきだったのだ。

仕事第一の人生も、子育ても、仕事と家庭の両立も、すべてこの「覚悟」次第であったのだ。

子供を持ったとき、私には覚悟があった。
どんなことになろうと、子供が成人するまでは、夫婦二人だけで育てていくという覚悟が。

夫はお金を作る、それ以外はすべて私という役割分担の中、お互いの責任をまっとうしてきた。これは「覚悟」以外の何物でもなかった気がする。

夫はどんな激務の中でも意欲的に働き、家族の生活を支えたし、私も自分のことは二の次と、家族のために全力で家事育児に取り組んだ。

結果、二人の子供は成人し、大学まで進学させた。下の子は今年大学生になったばかりなので、まだ4年間は学費の支払いが残っているのだけれど、幸いなことに国立なので、ざっと計算すれば卒業までに支払う学費は残り250万にも満たない。
これさえ終われば、コンプリートしたことになる。

子育てという一大プロジェクト終了である。

では、そこからまた覚悟をもって、今度は仕事を始めるか?

そう考えたとき、今から仕事に全力投球するような覚悟など持てないと思った。
覚悟もなしに仕事などしては、業務妨害になる。
ただでさえ社会から何十年と外れて生きてきた専業主婦だ。しかも仕事の記憶といえば、バブルの好景気しか知らない。そんな浦島太郎がウロチョロしていたら、はた迷惑だ。
私なら、そんなおばちゃんと働くのはごめんだ。

考えた末、もう仕事はしないことに決めた。
私には仕事に対する覚悟がない。
経済的に困窮でもしない限り、その覚悟はできそうにないので、今の時点では「生涯専業主婦」確定とした。





仕事に対する未練がまったくないといえば嘘になる。
ときどき発作のように「仕事でもしようかしら?」などと口走る。

そんな発作が起きると、家族は全力で止めに入るのだ。
夫は引き続き私のサポートが必要なのだろう。外国人のため日本語の読み書きができず、未だに日本語の書類などは私のところに持ってくる。そして生活全般。家事も含め、仕事以外の雑事はやりたくない人なのだ。
子供達も同じだ。何か困ったことがあると、暇な母親をアテにする。

家族が口を揃えて「マミーは家でゆっくりしてるのが一番だよ」と言って、小遣いをくれたりする。

お金が好きな私を黙らせる賄賂だ。

そこでピタリと発作が止むのは、やはり私にとっての働く動機とは、やり甲斐などではなくお金なのだろう。
幾つになって変わらない。。。

夫婦共働きが当たり前の時代において、まったく時代錯誤な家庭だ。。。
そう思わないでもないけれど、きっとバランスがとれているのだと思う。
家族みんなにとって、快適に暮らすためのバランスだ。

よく、専業主婦ほど危うい生き方はないということを目に耳にする。
離婚や死別など不測の事態に陥った時、生活力が皆無になるからと。これは本当のことだ。

経済がまったく回らない金欠の我が国で、仕事もせずに家事育児だけをしているのは、確かにリスキーだ。

もしも、私があと20歳若かったら、専業主婦という選択はあり得なかったし、子供を産もうとも思わなかったはずだ。

自分の娘たちにも日頃から、有り余るくらいのお金がない限りは、専業主婦になってはいけないと言っている。
経済力がないと自由が妨げられるからだ。

きっと今の50代は専業主婦をしていても楽しく暮らせる最後の世代なのかもしれない。
バブルの恩恵を受け、その時の頑張りが今の暮らしを支えているという人もいるくらいなのだから。
まさに今風に言うところの「時代ガチャ」大当たり世代だ。

結局、そんな時代ガチャの恩恵もあり、専業主婦という選択は正しかったと言える。
子供達の手が離れた今も、私は空の巣症候群に陥ることもなく、有り余る時間を自分の好きなことに費やし、「なんと幸せな人生かな」などと思って暮らしている。





もしもあの時、仕事を続けていたら?

それはそれで、きっと今と同じように満足した人生だったと思う。
覚悟をもって選択し、それをまっとうできれば、どんな道を選んだとしても後悔はないはずだ。

お若い方々の中には、人生の選択に迷いを持っている方もたくさんいると思う。
私にも二人の娘がいて、なにかと相談相手になることも多いので、いまの生きずらい社会で、どんな選択をしたら正解なのか考えさせられる。

そこで指針となるのが、前述した「覚悟」もその一つなのだと思う。
自分は何がしたいのか?何を一番求めているのか、それが明確になったら「覚悟」をもってまっとうすること。
そうすれば、なんらかの結果は出るはず。

娘たちにはそう言っている。
他人様には責任が持てないので、間違ってもそんな偉そうなことは言わない。

そして、もう一つ。。。

自分一人の選択ではなく、ここに夫という存在が加わってくると、ややこしくなる。

人生の伴侶によりけりで、女も男もその人生を左右される。

結婚する前はしっかり両目を見開いて、結婚後は片目をつぶってお相手を見るべし。

娘たちにはそう言っている。

「仕事か家庭」かそこに深く関わってくる伴侶の存在。。。
またしてもお話が膨らみすぎて脱線しそうなので、今日のところは終わりにしましょう(笑)


diary.hw-frankie.com