ある日、別室で娘二人がワイワイと盛り上がっていた。まったく性格の違う二人、興味の違う二人がどうしたことかと不思議に思いながらも、仲がよい分には平和なので、余計なことは言わず、知らないふりを決め込んでいた。
寝た子は起こさない主義だ。
ほどなくして、二人揃って私の元へやってきた。なにやら大きなカードのようなものを手にしている。
「オラクルカードって知ってる⁉︎」
長女が興奮した様子で、尋ねてきたけれど、パン作りと多肉植物、ブログ以外、特に関心を寄せるようなこともない私は知るはずもなく、黙って首を横に振る。
勝手に興奮されても困る。。。
「これ、占いみたいなものなんだけど、すごく当たるって評判なのよ」
占いなどまったく信用しない私、さらに関心は遠ざかる。。。
「カード一枚で人生がわかるなら、私なんか今頃amazonの創始者並みの資産を持ってるわよ」
いつものように、下世話な例で跳ね除けてみたものの、娘達は怯まない。
「なにか悩んでること、迷ってることがあったら、それを思い浮かべて、このカードの中から一枚引いてみて!」
相変わらず我が家の面々は人の感情に無頓着だ。私に興味があろうがなかろうが、カードを引かせるという目的に向かって、ひたすら突き進むのみだ。。。
私はちょうどメインブログにアップする予定の「柏餅」レビューを書いているところだった。
集中して書いているときに、横からカードを引けなどと言われると、イライラする。
しかし、「子供達の言うことには必ず耳を傾ける」という、母となってからの誓いを破るわけにはいかない。たとえ子供達が成人していようとも、子供は子供だ。私が勝手に産んだ子供達なのだ。
一旦、ブログを書く手を止めて、カードを引いてあげることにした。しかし、悩んでいることも迷っていることも私にはない。
そもそも、そんな煩わしいことがあれば、カードを引く前に、自分でどうにかしている。
しかし、そんなことを言っていてはお話が終わってしまうので、適当なことを思い浮かべた。
ちょうどブログを書いている最中だったので、頭に浮かんだのはブログのことだった。
コロナ禍以降、アクセスが減っている。
「お菓子を買いに行って、それを美味しくいただく」という趣旨のブログなので、人の足が止まればアクセスも下がる。
社会を飲み込んだ新型コロナの影響は大きい。私の弱小ブログにさえ打撃を与えてくるほどに。。。
加えてGoogleの度重なるアップデートにより、数年前に比べると、個人ブログの検索順位が大いに下がるという傾向も後押ししていた。
かと言って、SEO対策をするでもなく、アクセスが下がろうが上ろうが、何年も同じように、気ままに書いているブログだ。
ミラクルでも起こらない限り、このアクセスも平行線を辿っていくであろうことは、容易に想像できる。
よし、ブログのアクセスについて聞いてみよう。このどうしようもない状況に対し、このド派手なカードはどんな答えをだすのか。
相変わらず意地が悪い。。。
「私のブログはアクセスも減ってきています。この先どうなるのでしょうか」
そんなことを呟きながら、娘の手の中にあるカードを一枚引いてみた。
「はい。これですね」
長女がなぜか占い師然とした口調で、私の手からカードを取り上げると、その結果を読み上げた。
「"TRUST"。今はとにかく自分のしていることを信頼する時です。天使が素晴らしいものを用意しています」
なんと、天使は私にとんでもないミラクルを用意しているらしい!
真顔で「天使」の存在を当然のように肯定している娘。。。いつからスピ娘になったのか?
しかし、いくら信じていないとは言え、結果が良ければ悪い気はしない。120%の疑いを持ちながらも、「天使」の存在が気になり始めてくる。
なんだか気分をよくした私、今度はブログ収益について尋ねてみることにした。
収益化が目的でないとはいえ、毎月メインブログから発生する数万円の収益は、そのまま私のお菓子代になっている。
収益があってもなくてもお菓子は買うのだけれど、お菓子ブログから得られる収益でお菓子代を賄うことができれば、夫の稼いだお金でお菓子三昧の生活をしている「穀潰しの専業主婦」扱いからは逃れられる。
あわよくばに願いを込めて、もう一枚。
「ブログの収益はこの先爆上がりすることはあるのでしょうか。。。」
今度はかなり本気でカードを引いた。
現れたのは「YES!」と記されたカードだった。
ただの「YES」ではなく、「!」のついたYESは、「絶対に」という意味があるという。
これは、これは!
次第に前のめりになる私。
ああ、もしかしたら、数年後には夫から「もう扶養範囲では無理だ。キミのせいで、税金がさらに重くなる」などと、お小言を言われるようになるかもしれない。。。
老後の夢である「全国お菓子を巡る旅」も、ブログ収益で賄えるかもしれない。
頭の中一面に花が咲いた。まさにカラフルなお花畑だ。
「オラクル」と「カラフル」、似ていなくもない。
もしかしたら、このカードの名の所以はそこなのか⁉︎
その結果により、人をいい気分にさせ、頭の中に花が咲くような「希望」をもたせるカード。。。
それが、カラフル、、、ではなくオラクルカード!
人間の欲というものは際限がない。
一つ望むものを手にすると、さらに欲が出てくるものだ。
すっかり頭の中がお花畑と化した私は、さらなる天使の言葉を求め、次なる願いを唱える。
「私は痩せることができますか?」
答えは「It's up to you 」
あなた次第ですって⁉︎
当たっている。。。
なんということか。。。
占いの類は一切信じていない、興味もない。若い頃からスピリチュアルを公然と否定してきたというのに、この食いつき具合といったら!
私はその後も、様々な野望を心に描きながら、次々とカードを引きまくった。
火付け役であった子供達、最初はノリノリだったのだけれど、この頃になると「いい加減にすれば?」といった面倒臭さが露骨に顔に現れるようになっていた。
それでも、頭がお花畑になった私の手は、もはや止めようがなかった。
次はね、次はねと、私は頭に思い浮かぶ事柄を、片っ端から天使に投げつけた。
もう尋ねることはない。そう思うくらいやった結果、私は結論を得た。
それは、「このカードをやり過ぎてはいけない!」ということだった。
何度もやれば、確率的にあらゆるカードが出てくる。中にはネガティブなお告げもあったりする。
すると、途端に理不尽な怒りが湧いてくる。まったくもって身勝手だ。占いすら、思い通りにコントロールできると思っている傲慢さ。いつのまにそんな大人になってしまったのか。。。
そして、また新たなカードをめくる。
もう、全てのカードをめくり尽くしたのではないか?というくらい、引きまくった結果、私にもたらされたお告げは多種多様なものとなった。。。
もはや、意味がわからなくなってきた。
私が占いを信じないのも、まさにそこなのかもしれない。
一つの事柄に対し、常に同じ答えがあるわけではない。そんな漠然としたことに耐えられないのだ。
それを自分の望む答えが出ないと腹を立てるという身勝手な性格が後押しをする。
挙句、たとえルールを無視しようとも、望む答えが得られるまで、没頭するようなところがあるのを、自分自身が一番よくわかっているから、自ら「信じない」と思い込んできたのだろう。
だから、私は占いには近づかなかったのだ。
そうでなければ、私は日本津々浦々を巡り、あらゆる有名占い師に運勢を占ってもらい、最後には恐山のイタコの口寄せにまで辿り着いていただろう。
若い頃、私の友人にも大変な占い好きがいた。よく付き合わされたものだけれど、今思えば、彼女もまた納得する答えを求め、占い師を渡り歩いていたのだと思う。
あの時、占いにハマらなくて正解であった。
私には占いの類いは向いていない。というよりも、もっともスピリチュアルに近づいてはいけない類の人間なのだ。
ここで、少し大人らしく冷静に考えてみた。
『オラクルカード』がすごいと言われる所以について。
それは、やがて来るであろう真実を示しているからではなく、答えを得た人が前向きに物事を考えられるように作られたものだからと推測する。
つまりは「希望」なのだ。
希望のチラ見せ。
私は「希望」というものが大好きだ。
嫌いな人はいないだろうけれど、過剰なまでに信頼しているといっていいほど好きだ。
だからこそ、例え一瞬でもこのカードに夢中になってしまったのだろう。
このカードには希望がある。
正確に言えば、「希望の光」を見せてくるカードということだ。
誰しも未来に起こることは予想できない。どんな順風満帆な人生を歩んでいると思っても、ある時思いがけない落とし穴にポトンと落とされることがある。
それが人生だ。。。
50年以上生きていれば、そんなことは慣れっこにになるほど、私も何度も穴に落ちた。
まさに「一寸先は闇」の人生を私達は生きているのだ。
新型コロナの登場などそのいい例だ。コロナ禍以前は、自由に人とも会えない、街を歩けない、旅行もできない、そんな生活は想像もできなかった。
バブル崩壊やリーマンショックを通り過ぎ、さらには新型コロナと、寄せては返す波のように、困難に見舞われ続けていたら、未来を信じることなどできなくなる。
その割には脳天気に暮らしているけれど、逆を言えば、そう開き直ってしまわないかぎりは、先には進めない。
行き先が見えないというのは、とても不安なものだ。何も見えない暗闇の中を歩くのと同じで、一歩踏み出すのが怖くなる。
しかし、もしそこに例え小さくても、光り輝く何かが見えていれば、それを道標に進む勇気が湧いてくる。
オラクルカードに見た「希望」とは、そんな小さな光なのだ。
白けたことを言えば、たかがカードに印刷された天使たちがなにを言おうが、景気はよくならないわよ。。。などと思うのだけれど、「信じるものは救われる」のだ。
実際にそのカードの効力を信じる我が子達は、自分の進むべき道に対しての確信をそのカードから得て、グングンと前に進んでいる。
希望に導かれて、健全に前へ進む。そんな後押しが欲しい人には、とても役立つカードなのだろうと思った。。。
それなら、毎週日曜日に教会へでも通えば同じではないか?と思うところだけれど、私は無宗教だ。
というか、幼い頃は近所の教会へ通っていたこともあるけれど、それは天使のカードが欲しかったからで、信仰とは全く関係のない理由からだった。
天使のカードをある程度収集し、気が済んでからは一切教会には足を踏み入れていない。
そんな邪な欲にまみれた者が行くべきではないので、私よりも更に欲深い我が子達にはとうていおすすめできない。
家でカードで占いをしているくらいが、ちょうどいい。
結論から言えば、「信じる者は救われる」で、このカードも然り。
当たればラッキー、当たらずとも、ただの占いだと、その「希望の光」だけを見て、前に進めばいい!
そう言いたいところだけれど、幼い頃の教会通いから考えて、占いよりも、もしかしたらただの「天使のカード」好きによるもの?そんな気もしないでもない。。。
占いに開眼か⁉︎
そう思ったものの、やはり私には無縁のもののようだった。。。