In other words

I really don't know life at all ...

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たかがお菓子されどお菓子。令和のバレンタイン商戦についての呟き。

今年もバレンタインデーのかなり前から、百貨店などではチョコレート催事が花盛りであった。
とりわけインポートもののチョコレートに至っては、ヨーロッパから遠路遥々ショコラティエが来日しては、更に市場を賑わせている。

百貨店へ行けば、開店と同時に猛烈ダッシュで駆け出し、チョコレート売場へ爆走していく女子達を目にし、たいそう驚いたものだった。

「運動場じゃあるまいし。。。」と、見ていてあまり美しい光景とはいえないけれど、なりふり構わぬその姿から、チョコレートへの執念が伺われる。

最近はとにかくお菓子マニアが増えた。これはSNSの影響で、そんなマニアが表舞台に浮上してきたせいなのかもしれないけれど、やたらと目につくようになった。

私もお菓子をテーマにしたメインブログを書いていて、日々美味しそうなお菓子を見つけては楽しんでいるけれど、決して「お菓子マニア」ではない。
幼い頃からのおやつ習慣を充実させるためにお菓子を買っているだけなので、百貨店で爆走せずに済んでいる。

昔は話題のお菓子など、どんなものか味わってみたいと、行列に並んだりオンラインでも頑張ってポチポチ争奪戦に加えわったりしていたこともあったけれど、たかがおやつのために時間を無駄にしていると気づきそれもやめた。

「お菓子マニア」としてあらゆる人気のお菓子を収集するという目的ならわかるけれど、私はただ毎日美味しいおやつが食べたいだけなのだ。
レアなお菓子も食べきれないほどのお菓子も必要ない。

焼き菓子やパンなどもよく大量に購入し、冷凍しておくというお話も聞くけれど、私はそれもしない。
持論として家庭用冷凍庫では美味しさキープは不可能であると思っているからだ。
食べ切れるだけ買い、なるべくその日のうちに、その日が無理なら賞味期限内に食べ切れるだけの量しか買わないようにしている。
「どれだけ買うか」ではなく、どれだけ「美味しく食べるか」に重きを置くと、胃袋にも限界があるので当然そういうことになる。

とにかく、そんなただのおやつ習慣を楽しむ生活を何十年と続けてきたわけだけれど、やはり50代ともなるとあちらこちらその影響が現れ始めてきた。
昨年は健康診断の数値に初めてケチがついた。
主治医からも「お菓子もほどほどにね」とお叱りを受けた。私は40代で大病を経験しているので、主治医もなにか変化があると、とても厳しいことを言って予防に全力投球するように促してくる。
加えて成人病にでもなってしまったら、おやつが食べられなくなる。これは人生の楽しみの半分は奪われるようなものなので、なんとか回避したいと最近はお菓子もかなり控え、これまでの10分の1程度に減らしているのだ。

バレンタインデー前には、限定のお菓子など、その時期にしか登場しないお菓子もあるので、普通なら連日百貨店へ通うところなのだけれど、見ると理性が崩壊するので、なるべくそのような場所には足を運ばないよう努力はしている。

それでも、しばらく大人しくしているとウズウズしてくるのだ。
お菓子以外の買い物がある時、よく百貨店へ行くのだけれど、一度足を踏み入れるとどうしても催事やデパ地下をのぞきたくなってしまう。

先日もそんな感じで比較的空いていそうな日の午前中を狙い、ぶらりと百貨店へ行き、ついでに催事場もチラリと一回りしてきたのだった。



昨今では作り手と客との距離が非常に近くなっているなとの印象を持っている。

普段のおやつはわりと店舗で買うことが多いのだけれど、催事などではさまざまなお店が一堂に会することから、おやつハンティングにはもってこいと、足を運んでみる。
すると、和菓子でも洋菓子でもその作り手にサインを求めたり、一緒に写真撮影をしたりしている光景を目にする。
これも今で言うところの、「推し活」というものなのだろうか。。。

それは海の向こうからやってきた洋菓子職人さんのみならず、和菓子の世界でも見られるようになってきた。
もちろんこうした現象には必ず仕掛け人となる人がいると思うのだけれど、もはや百貨店のお菓子催事は一大イベント、お祭のようになってきている。

かつて知人の外国人投資家のおじさんが言っていたことを思い出す。
「いわゆる職人とされるような方々が、まるでスターのようにもてはやされるのは、あまり良い現象ではない」と。
どんな意味かと尋ねると、それは国の経済の衰退による現象の一つであるというようなことを言っていた。

国際経済を語れるほど英語力のない私は傍で「ふ〜ん」と聞いていたのだけれど、なんとなく言わんとしているようなことはわかる気がした。

私がその会話を正確に理解したかどうかはいささか怪しいのだけれど、要約すると、職人が作ることの他にファンサービスのようなことまでするのはなぜか?ということらしい。
職人であれば、芸術家のように作ることに専念したいはずである(多分)。しかしそれ以外の販促までしなければいけない理由とは?
つまりはより高い利益が得るためと思われると。。。

人によっては、自分の作るお菓子をご贔屓にしてくれ、喜んでいるお客様の顔が見たいという職人さんもいるだろうけれど、何よりも商いを続けるために利益は最重要だ。

昨今ではそんな職人に会うことをお目当てに、数々の催事に足を運ぶ人も多いようだから、職人さんの露出によっては利益が期待できるということもあるのだろうと思う。
あの猛烈ダッシュの光景を見れば、よくわかる。

そこで何万円、多い人は何十万円もお金を遣ってくれるのだ。結局のところ、双方の利益が一致したwin-winという構図ができあがる。

私などは単純に「経済が回っていいじゃないの!」と思うところだけれど、投資家の見方はそれが経済危機であるとの懸念になっているようだった。

私にとっては、たとえそれが芸術品のように美しいお菓子であっても、作り手がスターのような方であっても、所詮はお菓子。美味しく食べてナンボの世界だと思っている。
作り手のことはもちろんリスペクトしているけれど、お菓子にお金を出す理由は、口にした時の口福感に尽きる。
お菓子に関してはいささかマニアックなところもあるけれど、私がマニアとは言えないのは、そこなのだ。
とにかく食べることだけしか考えていないのである(笑)

まさに経済危機とは程遠い意識しか持っていない、ただのおやつ好きおばさんだ。。。
難しいことはさておき、昨今の価格高騰でインポートもののお菓子はとんでもない価格で並んでいる。私にとってはその方が危機である(笑)



私はかれこれ10年以上は行列ができるような催事に積極的に参加しなくなったので、先日たまたまのぞいた催事で並んでいる商品の値段を見てたいそう驚いた。

普通サイズのタブレットチョコレートが¥5,000もするのだ。
ガーナミルクチョコレートが一体何枚買える⁉︎と、下世話ながら頭の中で計算してしまった。。。

「この値段で買う人などいるのかしら?」と思っていたら、そんな高級チョコレートが飛ぶように売れるのだから驚く。
日本は本当に不景気なのかしら?と思う。
しかし、よくよく考えてみれば、宝石やバッグや靴、さらには車などを買うと思えば安いものではある。
そのような贅沢品を買おうと思えば、どんなにチョコレートを買っても、せいぜいその10分の1程度のものだ。

かつてバブル期を過ごしてきた世代から考えれば、食べ物に遣うお金などたかが知れている。

とはいえ、それは社会にお金が有り余り、人々の意識がとにかくお金を遣わなければ!と動いていた時のお話だ。
今のように労働賃金は上がらず、物価ばかりが年々上昇している状況では、その価値も異なる。

私のようにすでに守りに入った人間にとっては、お金を作り出すことよりも守ることが最優先だ。
個人的に今後はお国による年貢の取り立ては更に厳しくなり、少子化により老人福祉も期待できない未来が予想される。
日本経済はさらに悪化すると思っているので、余計に守備を固めなければという思いだ。
10年後、20年後、人生100年と考えればそれ以上の年月、今と同じように安穏と暮らすためには、お菓子で散財している場合ではないのだ。

そんな中、¥5,000のチョコレートには、「高い!」という印象しか持てず、とてもじゃないが手が出ない。

そんな話をしていると、20代の娘二人からは「いまだに昭和だな」と苦笑される。
彼女達にとっては、このとんでもない価格は当たり前と映っているのだ。

時代は変わった。。。
自分の意識も変えていくべきである。
そう思いながらも、そんな時代の変化についていけない。

チョコレートのみならず、お菓子全般の価格はかなり高騰している。
幸いなことにまだ和菓子は普段のおやつに対応できる価格なので助かっている。

健康上の理由からも洋菓子よりは和菓子の方がいいので、最近のお菓子は和菓子が中心になっているけれど、たまには洋菓子も欲しくなる。

そこで最近は食べたければ自分で作ればいいと思うようになった。
子供達が幼い頃は、毎日のようにクッキーやケーキを焼いていたので道具もレシピも揃っている。

子供達が成長してからは、買った方が手間がかからないと、市販のお菓子を買うようになったけれど、ここまで値段が高騰すると、ケチンボな私は自分で作れば同じ値段でどれだけたくさんのお菓子が食べられるか⁉︎と、算盤をはじいてしまうのだ。

安価なだけではない。自分で作れば、自分の好みに合ったお菓子を楽しむこともできる。
買ったお菓子が口に合わず、残念な思いをしたことは数知れない。
美味しい、不味いという話ではなく、単に好みに合わないということだ。
これは値段だけの問題ではない。もちろんそこそこお金を出して口に合わないとなるとがっかりするのだけれど、それと同じくらいに楽しめないお菓子で余計なカロリーを摂取してしまうことが嫌なのだ。

その点、自分で作ればそんな失敗はないに等しい。自分の好みは自分が一番わかっているのだから。



ここまで思うままに書いてみたけれど、その心中は結局のところ嫉妬と諦めなのかも知れないと気づいた。。。

そのお菓子へ向かう情熱と、それを支える胃腸の強さに対しての嫉妬。
すなわち若さに対する渇望と諦めだ。

もはや何時間も行列に並んでお目当てのお菓子をゲットしようという情熱もなくなった。石のように固まったネットの前で粘った末「完売」の文字を見て落胆するのにも疲れた。気力の減退だ。
それと同時に本来の天邪鬼が顔を出し、「みんなが競うように手を出すお菓子はいらない!」となった。

何よりも加齢による身体の変化。摂取したカロリーをエネルギーに変える力は弱まり、更年期になったころからは、まるで瞬間接着剤かのように食べたそばから脂肪を蓄積するようになった。
少しでもヘビーなものを口にすると、途端に胃もたれし、数日は胃腸の不調に悩まされる。

たった数年前までは、お菓子など食べたうちには入らぬというくらい、いくらでもスルスルと入り、すっきりと消化していた。
今では大福など餅菓子でも食べ過ぎようものなら、半日は胃がスッキリせずに晩御飯を抜くことも珍しくない。

もはや私はお菓子の一線からは退く時期がきたと、自ら白旗を上げざるを得ない。
「老兵はただ去るのみ」そんな心境なのだ。

かつてのように、美味しそうなお菓子のためにはどんな苦労も厭わないという情熱、そして頑強な胃腸が失われた私にとっては、その二つを持つ者に嫉妬をおぼえるのだろう。

嫉妬心ほど愚かなものはないと日頃から思っているため、さまざまなエクスキューズを並べ、それを否定するしようとしているのだ。

しかし、「たかがお菓子」という気持ちに嘘はない。
スター然とした職人にも正直言って興味はないし、百貨店の中を走るようなことも絶対にしたくない。

ただ「されどお菓子」だ。人生は短い。生きているうちにできる限りの美味しいお菓子に出会い、おやつ時間を充実させたいとも思っている。

何はともあれ「健康第一」だ。
お菓子に対する熱狂は「お菓子マニア」にお任せし、自分の身体と暮らしに合ったおやつライフを楽しんでいければと思っている。