In other words

I really don't know life at all ...

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行列の合流、割り込みにモヤモヤ。マナーや常識を共有できない人とは分かり合えない。


※写真は本文とは関係のないものです。

少し前までは欲しいお菓子があれば、行列に並んだり、ネット通販なら販売の時間前にはスタンバイしアクセスするなど、かなり熱心にやっていたのだけれど、コロナ禍を機に、そんなことの一切をやめた。

理由は単純に、競争相手が激増して購入ハードルがとんでもなく高くなったからだ。
SNSの普及によって、同じもの(お菓子)に向かう人の数が桁違いに増えたと言ってもいい。

人気店の販売などでは開店前から並ぶのだけれど、その時間がどんどん早まってきたように感じる。
ネット通販にしても、それまでは販売開始時間にアクセスすれば割と簡単に手に入ったものが、今はアクセスを試みるもアクセス集中でサーバーダウン、うんともすんとも言わない画面を見続けた挙句、「完売」の文字を目にするといった具合だ。

そんなことを繰り返すうちに、そこに費やす時間や体力がいかに無駄かを考えるようになった。
「時は金なり」と常日頃から言っているくせに、お菓子のこととなると盲目的に時間も労力も無駄にしてきたことに、ようやく気付いたのだ。

人気店のお菓子というのは、美味しいから人気があるというのも一つの理由で、特に好きなお菓子だった場合はとても残念なのだけれど、それすらも買うことを諦めた。

世の中には数えきれないほどのお菓子が溢れている。その中にはたとえ脚光を浴びずとも、本当に美味しくて大好きなお菓子もまだまだたくさんある。
わざわざ時間を無駄にするような真似をせずとも、日々のおやつには事欠かないのだ。

そのように考えを変えてから、ほとんど行列に並んでお菓子を買うようなことはなくなったのだけど、先月だったか久しぶりに某百貨店の催事に並んだ。

わざわざ並びに行ったのではなく、たまたまその近くで用事があったので、ついでにお買い物でもして行けたらと、時間もあったので列に着くことにしたのだ。



かなり時間が早かったため、百貨店の入口にはまだそれほどの行列はできていなかった。

入口近くに50過ぎくらいの男性が持参した小さな椅子に座っていてその人が先頭のようだった。
よく見るとその後ろにはもう一つ椅子が置かれていた。
行列並ぶ際、そこに無人の椅子などで場所取りをされていると、なぜか嫌な気持ちになる。しかし人の置いたものを勝手に投げ捨てるわけにも行かない。
戸惑いながらも、それ以降の人は皆その椅子の後ろに行列を作ることになるのだ。


場所取りでもしているのかなと、私も少し後ろからその様子を注視していたのだけれど、一向に来る様子はなかった。

開店5分前になり、ようやく現れたのはやはり50代と思われる女性と80代くらいの老婆だった。
どうやら先頭の男性とは家族のようで、つまりは合流という名の割り込みであったのだ。

こんな時、その後ろに並ぶ人は当然のことながらモヤモヤするものだ。

「このような年齢になっても、平気で割り込みをするような人がいるのだな〜」と驚いたものの、よくよく考えてみればこのような年齢だからこそ、図々しくもなれるかと思ったりもした。

割り込みをした2人の女性は、うつむき加減で、かなりばつが悪そうに行列におさまった。
その様子から少なからず罪悪感を持っているの感じられた。
コソコソするくらいならしなければいいのに。。。
そこまでして欲しいものがあるのだろうか?

3人も大人が揃っていて、誰か一人でも「割り込むような真似はしない方がいいのでは?」と、この合流割り込みに意を唱える人はいなかったのだろうかと思うところだけれど、夫婦や家族などは長年一緒に暮らしていると、価値観や道徳心も似通ってしまうものだ。
そう考えると、似たもの同士なのかなとも思う。

犯罪行為かどうかはともかくとして、道義的に考えれば普通ならできないことだ。
しかしその3人はコソコソと小声で話しながら、一切後ろを振り返ることはしなかった。

もしも後ろに並んでいる人に一言あったらどうだろうか?
並んでいた男性が、「少し席を外していますが、あとから2人戻りますから」と言ったとしたら、そこまでモヤモヤはしなかったはずだ。
当たり前のように椅子だけ置いて場所をキープし、後は知らん顔だ。

後から来た2人の女性が、コソコソとうつむき加減でいるのではなく、後ろの人に「すみません」と軽く会釈でもしたら、もっと感じ方は変わっていたのではないかと思う。

「図々しい人ね!」と余計な怒りを誘うこともあるだろうけれど、少なくとも私はその一言で少しはモヤモヤが薄くなるように思うのだ。



最近はこんなケースが少なくないという。百貨店だけではなく、行列ができるような飲食店でも、この合流による割り込みが原因でトラブルに発展することもあり、お店側もしなくていい苦労をしているそうだ。
小さな子供を含む家族総出での割り込みなどもあるというから、それを当たり前と育った子供もまた同じことをするようになるのだろう。
割り込み予備軍の誕生だ。

「人の振り見て我が振り直せ」というけれど、見るまでもなくそんな真似はできないなと思う。
人に不快な思いをさせてでも自分が利を得たいという強欲さは、醜いものだ。

ただでさえ歳をとって外見的な美しさからは見放されているというのに、その行為までもが醜いとなると目も当てられない。

若い頃はこのようにモヤモヤするような行いをされたら、必ず物申さなければ済まなかったけれど、今は割り込みたければそうすればいいと思うだけだ。その分、自分の品位が落ちるだけなのだからと。
文句を言ってそんな行いを阻止しようなどという正義感は必要ない。
同じ列に並んでいても、同じ土俵に上がっては、同類になってしまう。
まるで出会わなかったように、まるで目に入っていなかったように、心で透明人間化させるのだ。

世の中、分かり合えない人というのはいるものだ。価値観の違いという言い方をよくされるけれど、価値観ではなくモラル、マナーもまた異なる。
そこが厄介なところで、人によっては自分が人にご迷惑をかけたり、不快にさせるような真似をしていることに気づいていないということもある。

モラルやマナーの共有ができない人となると、これはもうどうしようもない。
幼い子供なら諭してきかせることもできるかもしれないけれど、これが立派な大人ともなると、長い年月をかけて培われ、身につけてきたものなのだ。

どうしようもないことに時間や体力を費やすのは、行列に並ぶよりも無駄なことだ。マイナスのエネルギーというのは、心身共に消耗する。

ムキになって目くじらを立てるよりも、憐憫をもって静観することが双方にとって平和なことである、そう思った出来事だった。