こんなことを書くと、クレーマーではないかと思われそうで躊躇してしまうのだけれど、私はクレーマーではないと思っている。ただ、少しだけ「ん?」と思うようなことがあると、なぜなのか問わなければいられない性格なだけだ。
お友達などからは、「黙ってスルーして忘れてしまえばいいじゃないの」と言われるけれど、それができれば世話はない。
一時が万事、自分の中でスッキリしない出来事があると、ついつい口が動いてしまうのだ。
最近、またそんなことがあった。
都心を走るバスにまつわる出来事で、私にとっては因縁の路線でもある。
車を運転しない私は、普段徒歩で移動することが多いのだけれど、徒歩で行けないところへは電車、バス、タクシーを使う。
最近は運動と節約を兼ねてなるべくタクシーを使わないようにしているので、近隣の街へ行くときはバスを使うことが増えた。
その日、大通り沿いにある最寄りのバス停に向かって歩いていると、遠くにこちらへ向かって走ってくるバスが見えた。
小走りでバス停に辿り着くと、PASMOを手にバスに乗る準備を万端に整え、心もち身を乗り出すようにして待った。
しかし、どうも様子がおかしい。いつもならバスはバス停より少し前に車線変更をする。ところがそのバスは車線変更することなく中央車線を走り、そのまま私の立つ停留所の前を通り過ぎて行ったのだ。
回送バスだったのかと思い、走り去ろうとするバスの中を見ると、普通に乗客が席を埋めていた。
長年この路線を使っているけれど、このようなことは初めてで、まるで鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンとしてしまった。
比較的頻繁にバスが来る時間帯だったため、後続のバスは5分と待たずにやってきた。
バスに乗ってからも、停車せずにバス停を素通りしていったバスのことが気になって仕方なかった。
バス停で待っていたのは私一人だったので、おばさん一人くらいスルーしてもいいと思われたのか?
定刻よりも遅れていたせいで、急いでいたのか?
後続のバスもすぐ後ろにいるから、そちらにお任せしようと思ったのか?
ただ単にボーッとしていて通り過ぎてしまったのか?
あらゆる説を考えたのだけれど、正解がわかるはずもない。
これは運転手さんに聞くしかない!
運良く私が降りる停留所が終点だったので、全てのお客さんが降りてから、運転席へ行き、運転手さんに素通りされた旨を説明し、なぜなのかと尋ねてみた。
最初は「回送のバスではありませんでしたか?」と聞かれた。
乗客が乗っていたのは、この目でしっかり見たので、そのように伝えると、
「もしかしたら、お客様がバス停にいるのが見えなかったのかも知れません」
そう答えた。
PASMOを手にバスに乗り込むのを今か今かと身を乗り出していたのだ。見えないはずはない。
「そんなことってあるのですか?」
思わず聞き返した。
「よくあることではないですが、見えずらいことはあります」
そう言ったあと、運転手さんが「本当に申し訳ありません」「すみませんでした」と、本当に申し訳なさそうに繰り返すので、なんだかこちらの方が申し訳なくなってきた。
素通りしていったのは、その運転手さんではないのだから、責めているつもりはなく、ただどうしてこんなことが起こるの?と思って尋ねただけなのに。。。
結局のところ、該当のバスを運転した人にしか、本当の理由はわからないのだなと判断した。
余計な時間を取らせたこと、対応してくれたことにお礼を言ってバスを降りた。
バスの運転手さんも様々だ。正直、この路線にはかなり悪い印象がある。しかしこの時の運転手さんはとても親切に対応してくれて、それだけで素通りされたモヤモヤも消えた。
冒頭で「因縁の路線」と書いたけれど、ある出来事がきっかけで、以来あまりよい印象を持たなくなったのだ。
あれはまだ子供達が幼い頃だった。長女は小学校の低学年、次女はまだ幼稚園生だった。
時刻は夕方。習い事か何かの帰り道、二人の子供の手を引いて、バス停に並んでいた。
私たちの前には80歳くらいの小柄なお婆さんがやはりバスを待っていた。
到着したバスのドアが開くと、次々と人が乗り込んで行った。そしてお婆さんの番になったときだ。
かなりお年を召していた方なので、動きはゆっくりで、よっこいしょとバスに乗り込んだ後、料金箱の前で少しもたついているようだった。
少しくらい待ったところで、どうと言うことはない。
お年寄りのそんな動作は「自分もいつか行く道」と思えば、寛容に受け止められる。
その時だった。。。
「チッ!」と舌打ちが聞こえた。
舌打ちの主は運転席にいたおばさんだった。女性のバスドライバーというのも珍しいけれど、その態度の悪さにかなり驚いた記憶がある。
さらには「バスが遅れるんだよ。なにをモタモタと。。。」と、お婆さんを睨みつけながら呟いた。
「すみません」と俯くお婆さんにさら聞こえよがしに大きなため息で攻撃するおばさんドライバーに、堪忍袋の緒を切ったのは、お婆さんではなく、後ろにいた私だった。。。
「あなたね、目上の方、しかもお客様に向かってその態度は酷いのでは?」
思わずお婆さんの前に躍り出て、大きな声が出てしまった。
するとおばさんドライバーは私をジロリと睨みつけ、「バスが遅れるの!」と声を荒げてきた。
「時間、時間というけれど、しょっちゅうバスは遅れますよね?
そもそも客に対する態度じゃないでしょう?」
当時の私はまだ血気盛んな30代だ。バス中に聞こえるような大声を上げていた。いま思い出すと、とても恥ずかしい。。。
私とおばさんドライバーが言い争いをしているうちに、ようやくおばあさんはパスを取り出し、めでたく乗車完了。
たくさんのオーディエンスがバスの発車を待っていたので、これ以上その状況を続けるのはよくないと、さすがの私も判断した。
「あなたのような方とはお話にならないので、後ほど責任者の方とお話しをさせていただきます」
そう言ったところ、憎らしいことにおばさんドライバーは「どーぞ、どーぞ」とバスのドアを閉めた。
もちろん怒りがおさまらない私は、帰宅してからすぐにそのバスの管轄である営業所に連絡を入れた。
一連の出来事を努めて冷静に説明すると、責任者の第一声が、「またですか」だった。
よくよく聞いてみると、そのおばさんドライバーに関してはとにかくクレームが多く、一度や二度ではないという。
「一方通行ではなんなので、当人にも話しを聞き、処分に関しては後ほど連絡させていただきます。」
そう言ってその日は終わった。
再度連絡があったのは翌日だった。
「本人に問いただしたところ、一連の出来事は認めました。
上からかなり厳しい指導をしたところ、辞めますということなので、辞職する形になりました」
きっと上司から叱られて逆ギレしたのだろう。。。
辞めるというのなら、もうどうでもいいことだ。二度と会わない相手なのだから、これ以上クレームをいう必要もない。
対応してくれた方に非はないのだから、その話はそれで決着がついた。
そう思っていたのだけれど。。。
それから一年以上たったある日、同じ路線のバスに乗ったところ、なんとハンドルを握っていたのはあの憎たらしいおばさんドライバーだったのだ。
これはどういうことなのか?
一年以上も姿を見なかったのは、辞めたのではなく、ほとぼりが覚めるまで、他の路線に回されていたのか?
または一度は辞めたものの、人員不足で仕方なく再雇用したのか?
色々な可能性が思い当たるけれど、結局は利用者の声など届いてはいないだと、とても残念な気持ちになった。
おばさんドライバー曰く、バスの運行はサービス業ではなく、運輸業ということだから、人ではなく物でも運んでいる認識なのかも知れない。
おばさんドライバーはきっと私の顔など覚えていないだろうけれど、私はしっかりと覚えている。
20年以上経ったいまでも忘れはしない。
また一悶着あるかと身構えていたのだけれど、予想に反しておばさんドライバーはかつての憎らしい態度は鳴りをひそめ、乗ってくるお客さんにはごくごく丁寧な対応をしていた。
もしかしたら、あのら一件の後にとんでもない事でも起こったのかも知れない。
自然の法則として、3つの小さなミスの後には、必ず取り返しのつかないような大きなことが起こると聞いたことがある。
おばさんドライバーはそんな大きな災いに遭い、言動を改めたという可能性もある。
いずれにしても、勤務態度が良くなったのだから、これ以上言うことはない。
「なぜ、辞めたはずのおばさんドライバーが仕事をしてるのよ!」
などと、再びクレームをつけるほど、執念深くもなければ、暇でもないのだ。
いまならいざ知らず、30代はとにかく子育てで忙しくしていたので、余計な厄介事に自分から飛び込んでいくのは真平ごめんだった。
とはいえ、一度でも不愉快な思いをしたら、負のイメージを払拭するのは難しいものだ。
もちろんそんな運転手さんばかりでないことは承知している。
心がほっこりと温まるような言動をする運転手さんもたくさんいる。
それでも、一人でもこのおばさんドライバーのような人がいると、全ての印象が変わってしまうのだ。
サービス業だ、運輸業だ、そんなことよりも、人間としてどう振る舞うかなのだと思う。
便利に利用させてもらっているからこそ、不適切な対応があれば物申したくなるのである。
ただバスの時間が遅れたら、それに対してクレームを入れてくる人もいるだろう。反対に定刻運行にこだわるあまり、利用者にぞんざいな態度を取れば、それはそれで私のように噛みついてくる客もいる。
考えてみれば、あちらを立てればこちら立たずと、何事においても万人を満足させることは不可能に等しい。
未熟であった私は、当時そこまでは考えなかった。いま思えば、おばさんドライバーに噛みつくよりも、もっと他にできたことがあったかもしれないと、今になって思う。
今回の素通りしたバスにも、私には想像し得ない事情というものがあったのかもしれない。
これからも「ん?」と思うような事があれば、口を閉ざしていることはできないと思うけれど、「地球は私中心に回っているわけではない」
まずは、そう考えてから行動しようと思った次第である。