少し前のこと、コンビニで大量に買い物をする機会があった。
普段は自前のエコバッグを持参し、レジ袋を購入することはあまりないのだけれど、先日はお弁当を3つ、サンドイッチにおにぎり、500ml入りペットボトル3本、加えてプリンやゼリーなどをいくつかなど、かなりたくさんのお買い物をしたので、「レジ袋に入れて下さい」とお願いした。
私的には当然一番大きなLサイズの袋に入れるものだと思っていた。これまでの経験から、コンビニでもスーパーでもこのくらいの量であれば、大きなサイズが妥当であると思っていたからだ。
ところが、渡されたのはMサイズの袋にギッチリどころか、一番上に乗っているものは、今にも落ちてしまいそうなくらい、乗っているだけの危うさだった。
持ち手もかろうじて指3本引っ掛かるか?というくらい満杯。。。
「気をつけてお持ちください」
そんな親切な一言があったのだけれど、気持ちよく「はーい!」などとは言えないほどの危うさだったのだ。
よほど大きな袋に入れ直してくれと言おうかとも考えたのだけれど、私の後ろに並んでいる人もいた。ただでさえ品数が多く普通よりもレジの時間が長くなっているのだ。ドリンク一本を手に待っている人からしたら、ジリジリとそれが終わるのを待っているはずだ。待つことが好きではない私には、その気持ちがよくわかるのだ。
入れ直してもらうことは諦め、その袋を黙って受け取ったのだった。
案の定、一番上に乗ったおにぎりが落ちないように、提げるのではなく、袋を片手で抱え、もう片方の手でおにぎりが落ちないように上から押さえることになった。
両手が塞がり日傘もさせず、それが余計に腹立たしかった。日頃のシミ対策がこれで帳消しとなるのだから。
ようやく家に帰りつき、袋から品物を取り出すと、サンドイッチは見事に潰れていた。柔らかいサンドイッチをなぜに下の方に入れる⁉︎
レジ袋の一番下の角の辺りはすでに破れかけていた。お弁当の硬いプラスチック容器が突き破っていたのだ。
これは抱えていたからこそ決壊を免れたものの、ぶらぶらなど提げていたら道端でぶちまけることになっていたかもしれない。
その惨状を想像すると、どうしたらあんなにギューギュー詰め込もうと思ったのか、理解に苦しむ。
もしも店員さんが若者や外国人であるなら、私もそれほど深刻には受け止めなかっただろう。
外国人の店員さんの中には、何も考えずに手当たり次第あるものを袋に詰め込む人のいる。珍しいことではないし、そんな時は私も「それは一番上に入れてね」と口を挟んだりする。偏見ではないけれど、ちょっと注意して見ているのだ。
もちろん中にはこちらが「この人、すごい!」と思うくらい、綺麗に合理的に袋詰めしてくれる外国人の店員さんもいるから、おかしな偏見は持つべきではないと思いながらも、ついつい注視してしまうのだ。ごめんよ。。。
若者に対しても同じで、多少袋詰めが甘くてもイライラ、モヤモヤするようなことはない。
そもそも袋詰めに対する経験値が我々主婦とは違うのだ。自分のものだけしか買い物をしないのなら、一番小さなレジ袋でもあまるくらいだ。スーパーで大量に食材を買い物したこともないだろうから、いい具合にできなくて当然なのだ。あくまでも、我が家の娘達基準なのだけれど。。。
ただ、若者店員の多くは、「大きな袋にしますか?」「この大きさで大丈夫ですか?」と明らかに判断に迷うような時は尋ねてくれるケースが多い。
これが若さだ!
若い頃はなんでも人に尋ねたらいい。わからなければ、わからないと言えるのが若さの特権なのだから。
我が家の子供達にも言っている。わからなければ有耶無耶にせず、無知を恥ずることなくなんでも尋ねよ。そして学ぶことだと。
同じ立場の「店員さん」に対して、年齢や国籍で差別するのはいけないような気もするのだけれど、無意識に甘くなるのは私にも年若い半分外国人の子供達がいるせいかもしれない。
問題は件のその店員さんが、私と同じような年代のおばさんであったことだ。
おばさん店員だったがために、余計なことを考えることになってしまったのだった。
自分も十分におばさんなので、同じような立場の人をディスるのも気がひけるのだけれど、今回のレジ袋に関してはちょっとばかりモヤモヤした。
想像の域は出ないのだけれど、おばさんであれば、きっと主婦パートだろう。
つまり、主婦であるなら、お買い物の際にレジ袋の妥当な大きさくらいわかるでしょう?と、身勝手ながら思ってしまったのである。
もしかしたら、そうではないのかもしれないのだけれど、自然とそんな想像が働いてしまう。
そもそも、買い物経験値の低い人でも、途中で「これは無理だ」と気づくはずだ。それでもMサイズに強行突破したのは、客の負担するレジ袋代を少しでも安く済むようにとの気遣いであった可能性もある。
レジ袋も大きさによって値段が異なる。
大きくなれば当然、数円は高くなるのだけれど、この数円に対する思いが人によって異なるのかもしれない。
主婦感覚からすれば、1円でも安い方がありがたいと思う。しかし、それは何かを犠牲にしてまでも節約しなければいけない1円ではないと考える人間もいる。
逆にどんな不便を強いられようとも、安ければ安いほどよいと考える人もいるのだろう。
また別の可能性としては、途中で「これは小さすぎる。。。」と気づいたものの、他のお客さんも並んで待っているし、今から詰め直すのは時間もかかり面倒と考えたのか。
私も面倒くさがりなので、もしもその立場であれば、客が何も言わなければそのまま強行突破に気持ちが向かうのもわからなくはない。
ただ、もしも厄介な客で激しくクレームなどされようものなら、余計に面倒になると想像して、多分入れ直す。
なによりも、綺麗に袋詰めできないと嫌という個人的な嗜好もある。
やはり私ならMサイズのレジ袋は考えられない。
最後の可能性として、レジ袋の大きさなどどうでいいと考えているのか。とりあえず、こぼれ落ちそうでも、止まっていればいいでしょ!と、まるでジェンガゲームのように、グラグラでも崩れ落ちさえしなければ成功!と考えているか。
考えられることはいくつかあるのだけれど、結局のところ、人の心のうちなど分かりはしない。
その店員さんが悪いわけではないということだ。
善意もなければ悪意もない。ただ自分の価値観によってお仕事をしていただけのことなのだから。
誰が悪いかといえば、それは自分なのだろう。
自分で「一番大きな袋で!」としっかりと指定しなかったのがいけなかったのだ。
人それぞれ物事に対する価値観は異なる。初めて会った客の心のうちなど、誰にもわかるわけがないのだから、わかっているはずだと、相手も自分と同じ価値観を持っていると思い込み、期待していた自分に非があるというわけだ。
コンビニでレジ袋を買う際は、危うさ回避のために大きさ指定はマストであるとつくづく感じたのであった。
人生何事もお勉強だ。このMサイズレジ袋によって、私はまた一つ貴重な経験をし、多くを学んだのであった。。。