In other words

I really don't know life at all ...

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夢の中で経験した優柔不断と失敗のシュミレーション。

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前にも書いたけれど、ここ数ヶ月というもの睡眠の質が良くない。
しっかり眠れていないと感じるせいではない。たくさん夢をみるせいだ。
以前であれば、夢など見ることなく、いつ寝入ったのか気づかないほど、すっぽりと眠りの中に入れた。

不眠がどれほど辛いものか、話には聞いたことがあったけれど、なるほど睡眠に問題があるのは精神的にも肉体的にもあまりよい感じはしないものだ。

夢の内容も睡眠の質と同じように、あまり素敵な内容ではないことが多い。
特に多いのが、物事を決断できずに困っているという夢。

食事に行っても、沢山あるメニューの中で迷ってばかりで、なかなか決まらず、挙句に同行者は食事を終えて店を出て行ってしまう。。。

買い物へ行っても、買いたいものは決まっているのに、いくつかある種類から、どれを選んでいいかわからず、周りに急かされながらも決められずあたふたしている。。。

そんな優柔不断な自分の夢だ。

実際の自分はその真逆だ。
昔から迷っている時間がもったいないとばかりに、なんでも即決。
そのせいで失敗することもあるのだけれど、なんでも迷わず潔く決断できるのは、自分の長所ではないかと思ってきた。

いつも迷わずに決断できる自分が、なぜ夢の中ではあれほど優柔不断になるのだろうか。。。まるで解せない。

相変わらず、夢占いなどは信じない。
そこで自分で考えてみる。これは心理的に何か意味があるのかと。

「なんでも考えなしで即決するのは避けるべき。だから失敗するの」

「もう少し思慮深くなった方が、物事がうまく運ぶかも」

「自分を過信せず、少しは疑ってみたら?」

なるほど、なるほど、なんとなくそれらしいことが浮かんでくる。

思えば、私は軽すぎるのだ。物事の先を見て判断するよりは、その時のフィーリングと感というようなもので、なんでも決めてしまう。
「感」というものは侮れないと思っているけれど、もう少し他の情報を加えた上で精査することをしてもいいのかもしれない。

夢の中で迷うというのは、もう少し慎重になった方がいいのではない?という、自分の心の声なのかも。。。

一件落着である。





さて、もう一つ。よくみる夢がある。

それは手に入れようと思っていながら、なかなか手に入らないものを追い求めている時に見る夢だ。

手に入れるために必要なことをしようとするのだけれど、どうしてもうまくいかない。

例えば、ネットで欲しいものがあり、買い物をしているとき、なかなかクレジットカードの番号を入力できない。何度やっても間違えてしまって、そのうち売り切れになってしまう。

早く行かなければ売り切れてしまうのに、なぜかその店にうまくたどり着けない。結局、閉店までに店に行くことができない。

そんな夢を見始めると、その欲しいものが手に入るまで、毎日でも同じ夢を見るのだ。

どれだけ欲しいのだ⁉︎

少し自分でも呆れる。。。それがお菓子など食べ物だったりすると、余計に「いい歳をして、頭の中はお菓子のことでいっぱいか⁉︎」と、驚いてしまう。

もっと驚くのが、それが手に入った途端に、そんな夢はピタリと見なくなることだ。

これは「なんとしてでも手に入れなければ」という執着はもちろんだけれど、もしも上手く入手できなかった時のショックを緩和するために、夢の中で失敗を経験するためではないかと思うのだ。
失敗することをしっかりとシュミレーションしておけば、いざそれが起こった時でも冷静に対処できるだろう。

実際は成功するまでその夢を見続けるのだ。失敗すればするほどその夢は執拗に追いかけてくる。冷静もなにもあったものではない。。。

もうこれは、どんなものであろうと、手に入るまでは頑張ってやり続けろ!
さすればそんな夢は見なくなる!

ということで一件落着としよう。





そういえば、私は夢の続きを見ることや、夢のストーリーを自分の好きなように変えたりできることがある。
それなのに、この夢の時はそれが通用しない。。。
それだけずっぽりと眠れているということなのだろうか?
そもそも夢の内容をコントロールできるということは、それが夢であると半分わかっている曖昧な状態のときといえる。
つまり、夢の内容をアレンジできるということは、きちんと眠りに入っていないということなのだろう。

ならば、コントロールできずに、気分のよくない夢ばかり見るのは、ひょっとしてる熟睡している証拠?

いや、熟睡していれば、そもそも夢を見ることもないだろう。

いやはや、夢というものの解釈はなんとも難しいものだ。。。

もう夢を見るのは面倒だ。できることなら、何にも頭の中に置かず、ぐっすり眠りたい。

つらい時に見る父の夢と、存在しない和菓子。

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最近、ちょっとばかり心配事などもあったせいか、コロナ禍からの生活の変化が影響してか眠りがとても浅い。

昨夜も眠りの浅いところで夢を見ていた。

もう15年も前に亡くなった父親の夢だった。
心配なことで心が満たされているような時は、決まって父が夢に出てくる。
笑って「大丈夫だよ」というのがお決まりなのだけれど、今回は少し違っていた。

夢の中の私は誰かの妻でも母でもなく、まだ「父の娘」で、舞台はかつての実家だ。
帰宅すると、玄関の外で父が待っていて、笑いながら和菓子の包みを差し出してきた。

私が年に数回行く、ある和菓子屋さんのものだった。

包みを開けると、その店ではまず作らないであろうお饅頭が4つ。
見た目は名古屋の『餡麩三喜羅』ようでいて、中身はやたらと水分量の多いトロリとしたこし餡、その中に薄くスライスされた生姜の糖蜜漬けが入っているという、いまだかつて見たこともない和菓子だった。

「美味しいよ。好きだろうと思って買ってきた」

父はそう言っていた。

この夢は一応ストーリーもあってダラダラと続き、目覚めた時には細部まで覚えていたのだけれど、少し時間が経ったらフレーム以外はぼんやりとしてしまった。

ただ、このお菓子のくだりだけは、鮮明に思い出せる。





とうの昔に亡くなった肉親が夢に出てくるのは、どういった心理からなのだろう。

心配事があるたびに父が顔を出すということは、知らず知らずのうちに父にすがっているかとも思う。

生前、いつも私を護り、どんなことがあろうとも、そばにいてくれた唯一頼れる存在であった父だ。
亡くなった時、これからは自分を守ってくれる人も助けてくれる人もいなくなった。人に頼らず、しっかり生きていかなければ。そう思うほど、私は父に頼り切っていた。

もしかしたら、今でも私は父を心の拠り所にしているのかもしれない。
どうにもならないこと、出口の見えない不安がある時、必ず私は心の中で祈ってしまう。

「パパ、お願い。

助けて。

守って」

心の中でそう父にすがるだけで、なんだか安心するのだ。

生きていようが亡くなっていようが、きっと父は私を護ってくれるはずだと信じている。

ちょっと馬鹿げたことだと頭ではわかっているけれど、本気でそう信じている。

50を過ぎてもまだまだ道に迷うこと、後悔することの連続だ。

どうしていいのか分からずに途方に暮れて、気持ちが落ち込むこともある。
性格上、そんな時はありとあらゆる行動によって打破していこうと思うのだけれど、うまくいかないこともある。
そんな時、私はいまだに父を必要としている。





頼れる人はいないと思っていたけれど、実際は家族がいてくれる。
かつて日本にきたばかりで頼りなかった外国人の夫も、今では立派に家族を支え、苦しいときにはそばで「大丈夫」といってくれる。

笑顔で「大丈夫!」と、ブルドーザーさながら問題解決に行動する姿はバイタリティーに溢れていて、そばにいると安心できる。

それでも人は万能ではない。全てがきれいに片付くわけではないこともある。

そんな時、最後はやはり父にたどり着く。

父が夢に出てくるのは、私がつらい時だけ。この15年変わらずだ。

夢判断などはあまり信じていないから、きっとその夢の意味は、私の心理的安心のために作り出されたものなのだと思っている。

夢の中で父がいつものように笑っていたから大丈夫なのだろう。

そう思って、頑張ろうと思えた。

父の夢は私にとって神社でいただく御守りみたいなものなのかもしれない。。。

さよならモリコーネ、Grazie mille の言葉とともに。

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映画音楽の世界的巨匠、Ennio Morricone エンニオ・モリコーネ氏が昨日亡くなられたというニュースを見た。91歳だった。

数多くの映画音楽を生み出してきたイタリアの作曲家で、有名なところでは日本でも大ヒットした『ニュー・シネマ・パラダイス』と言えば、ピンとくる人もいるだろう。

作品名をあげたらキリがないほど多くの映画音楽を手がけてきた方なので、興味のある方は是非検索してみてほしい。
きっと名前は知らずとも、ほんとんどの人が一度は彼の音楽を耳にしたことがあるはずだ。

一昨年くらいだろうか「引退」というニュースも流れていたので、もうお歳だし。。。と思っていたのだけれど。

亡くなられたと知って、ちょっとばかり感傷的になってしまった。

私にとってモリコーネの音楽は、これまでも人生の辛い場面では必ず共にあった音楽だったような気がする。。。

追悼というわけではないけれど、昨夜は久しぶりに古いCDを聴いた。

私が「究極のヒーリング音楽」と長年大切にしているCDだ。



ヨーヨー・マ・プレイズ・モリコーネ



これは世界的なチェリストYO-YO MAヨーヨー・マ)とのコラボCDで、これが発売されたとき、私は南半球の田舎町で暮らしていたため、入手するのにとても時間と手間がかかったのを覚えている。

どんなに大変でも、待っても、どうしても手に入れたいCDだった。なんといっても大好きな天才音楽家2人がタッグを組んだCDだ。世界のどこにいようとも、必要なものだったのだ。

それだけに思い入れも強く、今でも大切にしている。
そして、それを聴くたびに昔々のことを思い出すのだ。





辛いこと、嫌なこと、心を暗くするようなことは日々当たり前のように起こる。
それでも私達は自分なりのやり方で、そんな嫌なこととうまく付き合おうとしたり、追いやろうとしたり、消化しようとしたり、もがきながら生きている。

人に頼ることができる人もいれば、自分だけで落とし前をつけようとする人もいる。

時にそんな現実と向き合い、戦う気力をなくしてしまう人もいる。

私もそうだ。50年以上も生きていれば、当然色々なことがあった。いいこともたくさんあったけれど、辛いこともたくさん経験した。

何もかも投げ出して逃げ出したいと思うこともあったけれど、そんな時に弱気になった心や、黒く凝り固まった心をほどいてくれたのがモリコーネの音楽だった。


モリコーネの音楽は、無条件に人を包み込むような包容力と美しさを持っている。

心の中に溜まった真っ黒な澱を根こそぎ洗い流してくれるような清浄なパワーとでもいうのか、魂が無色透明になるまで洗われるような気持ちにさせてくれる。

とりわけ海外で暮らしていたころは、理不尽な出来事に見舞われるようなことは日常茶飯事で、そんな現実に負けたくないという気持ちと、逃げ出したいという気持ちの狭間で、いつも気持ちが不安定だった。

無意味な戦いをしていると分かっているのに、そこから降りられない自分の頑固さ。

若かったせいで、逃げることも勝つことの一つの方法であると受け入れられなかった。

そのせいで、自分に鞭打つように生きていた。

今の若い人は想像できないだろうけれど、昭和の人間はそんな愚かなことを美徳とするところがある。
いま思えば、なぜあそこまで頑なだったのだろうと、当時の自分に同情すらする。


絶対に負けたくはない。

そんな風にいつも気持ちをピンと張り詰めて生きていたら、知らず知らずのうちに心が消耗する。
わかっていても、それをやめることができない。

そんな時、人は無意識のうちに自分を救ってくれるものを探すのかも知れない。

頑なな気持ちをそっとほどいてくれる薬のようなものを。

私にとってのそれがモリコーネの音楽だったのだ。

疲れた。。。と、溜息が漏れるような時は、必ず彼の音楽を飽きるまで何度も流し続けた。

そうするうちに、気持ちが着地点を見つけ、落ち着きを取り戻す。

怒りや悲しみでささくれだった心が、徐々に洗い流されて、ニュートラルな自分を取り戻すのだ。





今は若いときのように、思い煩うようなことはあまりなくなったから、あんな風にモリコーネを聴くことはなくなったけれど、今でもちょっと疲れたりすると「免疫アップ!」などといいながら、『Gabriel's Oboe』なんかを流す。




Yo-Yo Ma plays Ennio Morricone # The Mission - Gabriel's Oboe



何十年経とうが色褪せることはない。

それどころか歳を追って聴くと、さらにその美しさに感動する。

私は特別音楽に詳しいわけでもなければ、ましてや自分で演奏することもない。
ついでに言えば、カラオケなども好きではないから行かない(笑)

音楽に対する知識がなくても、その音楽が自分にどう響くか、どんな影響をあたえるかはわかる。

楽しくなるような気持ちを盛り上げる音楽、モリコーネのようにある種のヒーリングになる音楽など。。。

音楽は美しければいい。
自分の耳に心に美しく響けばそれでいい。

モリコーネは亡くなってしまったけれど、私は一生彼の音楽に癒され、励まされながら生きていくのだと思う。

私を含め多くの人の魂を慰め、救ってくれた遠い国の天才、モリコーネ氏のご冥福をお祈りするとともに、

Grazie Mille !

たくさんの感謝を。。。