In other words

I really don't know life at all ...

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あと何年、私は母親でいるのだろう。そう思っていた頃。

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人手の密集するような場所へは、あまり出たくはないのだけれど、家族の都合などでどうしても外出を余儀なくされることがある。

夫や大学生の長女はともかく、次女は来年大学受験を控えている。
学校自体がいまだにリモート授業なのに対し、予備校はそうもいかないようで、早くから普通モードになっている。
志望校を決定する面談やコース選択など、保護者を交えてという機会もある。
本人が講師と相談して決めればいいとは思うけれど、受験というのはお金をかけようと思えば際限がない。その辺りを考慮してか保護者も一緒にということになるのだろう。
他にも受検勉強に必要なものを購入したりと、こちらもかなり高額になる場合もあり、なかなか子供だけには任せておけない。

長女が生まれてからもう20年以上になる。
母親になってからそんなに経つのだから、白髪やシワに悩まされる年齢になるのも納得だ。

長いような、あっという間だったような、そんな月日だったなと思う。

気まぐれに仕事をしたり、ちょっとしたお金儲けに動いたりはあったけれど、基本的には子供が産まれてからはずっと専業主婦という立場でいる。

家事と子育ての合間に自分の好きなことをして過ごすという、楽なのだかそうでないのだか、よくわからないような生活だ。

自分がこんなに長い間、同じ役割を継続していることに驚く。
本来は新しいことが好きで、よほど好きなことでもない限りは、同じことをやり続けることはない。

それなのに、私はもう20年以上も妻として、母としての役割を続けている。
その間、もちろん楽しく幸せな時間ばかりではなかった。さすがに母親としての役割を放棄しようとは思ったことはないけれど、正直なところ、妻としてはうんざりして逃げ出したくなることもあった。

夫といえども所詮は他人だ。いいときは問題ないけれど、例えば経済的な危機など悪いことがあったり、物事がうまく行かなくなると、その関係にもヒビが入ってくる。

夫婦は他人と言うけれど、本当にそうだなと思う。とりわけ国際結婚ともなれば、分かり合えないことの連続だったりする。
育った環境も習慣も、常識さえも違う他国の人間と生活を共にするのは、想像以上に大変なもので、それは結婚生活が長くなればなるほどに痛感させられる。

それでも、私はいまだに妻であり母親を続けている。自分がこれほどまでに辛抱強いとは我ながらすごいなと、自画自賛したくなるほどだ。





40代の頃、私はあと何年、母親でいるのだろう。。。よくそう思っていた。

やりたいことがあっても、妻と母という役割が邪魔をして、好きなことを存分にできないジレンマを抱えていたのかもしれない。

今の若い人達は「母親でも輝いていたい」と、妻としても母としても、働く女性としても充実した人生を送りたいと望んでいる人が多い。

もしも私があと20年遅く産まれ、母になったとしたらどうだっただろうと考えてみる。私も持ち得る全てを望んだだろうかと。

そしてすぐに無理だわ。。。と思った。

時代が変わろうが、本来備わった性分というものが、それを許さない。

なんでも人に任せることができない性格なのだ。それは私が人よりも上手にできるからということではなく、なんでも自分のやり方を通したいというエゴイストだから。

夫に対してでさえも、自分の描く理想と違えば容赦なく牙を剥く。なんでも自分の計画した通りに事が運ばないとイライラする。

ただ、これは子供達には通用しない。子育てとは予想もつかないことの連続であり、思い通りにいかないのが普通と言ってもいい。
不思議なのは、それがストレスになるよりも、何か新しい発見をしたような楽しい気分になったことだ。

もちろん子供相手にカッとなることはあった。今でもよくある(笑)
それでも、子育てという初めての経験は辛いよりも好奇心の方が勝り、なんとも楽しいものだった。

結果的に子育てを経験したおかげで、私もずいぶんと辛抱強くなり、成長させてもらったと思っている。





人は自由であるべきで、仕事もお金も子供も自分の生きがいも、全て欲しいのなら、それを手にするために努力するのは決して悪いことではない。

いろいろな言い訳を並べ立てて諦めてしまったら、きっと後で後悔するだろう。
全てを欲しがることは悪いことではないけれど、その代わりに何かを犠牲にする覚悟は必要になる。
全てを同時に手にしたように見えても、その裏ではいくつものほころびを見つけることができる。
自分が輝く代わりに、他の誰かがその影の部分を担うということだ。

自分の気持ちと折り合いをつけながら、「輝かないくていい」人生を送っている若い母親達も少なくないだろう。

私は自分が「母親でも輝いていたい」とは思わなかった。それ以前に人間として輝いた人生をとも考えていなかった。
ただ、自分の選んだ一本道を楽しく歩いていきたいとだけ願っていたからこそ、それほどの不満を抱えることなく20年以上も同じ役割を果たしてくることができたのだろうと思っている。

周りがどうあろうと、社会がどう変わろうと、まるで身勝手に自分の心のままに生きてきたのだと思う。

今の社会では女性の社会進出が声高に叫ばれている。専業主婦がこき下ろされるのもそんな風潮のせいかもしれない。

仕事をする楽しさは私も知っているし、たまたまこの人生では妻として、母親としての人生を選んだけれど、来世では違った生き方もいいかもしれないなどとも思う。
自分の子供達にも、仕事をしたいなら結婚後も続けるべきだと話している。

ただ、周りの人が手にしているからと、欲しくないものまで持とうとする必要はない。
なにを選ぶにしても、あくまでも自分の気持ちが一番ということだ。





あと、何年母親でいるのだろう。

もう、そんな自分に対する問いかけをすることはなくなった。
来年には末の娘が高校を卒業する。すでに母親としての役割に終わりが見えてきた。

空の巣症候群を危惧する気持ちは一切なく、実質母親からの役割から解放されるのが、ただただ嬉しいだけだ。

妻としての役割に関しては、期待されていないわけではないけれど、子育て終了と共に強制終了させていただくつもりだ。

もちろん、まったく家事を放棄するわけではない。生活費丸々いただいている以上は、その対価として家事をするのは当然のことで、それは妻だからということではない。
たとえ一人暮らしだったとして、生活するために必要な家事をするのは当たり前のことなのだから。

ただ違うのは、妻として、母親としてというよりは、もう少し人生の重きを自分に置いて生きていこうということだ。

つまりは、その時こそが自分が輝く人生を送るときなのだ。

とはいえ、相変わらず輝きたいとは思わない。輝こうが燻っていようが、それはどうでもいい。
ただ、誰に対しての責任も負うことなく、ただ自分のことだけを考えて生きていける、そんな人生を求めている。

一つの役割を終えたら、今度はまた新しいことをしようと思っていた。

母親としての役割を終えようとしているこれからが、まさに第二の人生だ。

夢の中で経験した優柔不断と失敗のシュミレーション。

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前にも書いたけれど、ここ数ヶ月というもの睡眠の質が良くない。
しっかり眠れていないと感じるせいではない。たくさん夢をみるせいだ。
以前であれば、夢など見ることなく、いつ寝入ったのか気づかないほど、すっぽりと眠りの中に入れた。

不眠がどれほど辛いものか、話には聞いたことがあったけれど、なるほど睡眠に問題があるのは精神的にも肉体的にもあまりよい感じはしないものだ。

夢の内容も睡眠の質と同じように、あまり素敵な内容ではないことが多い。
特に多いのが、物事を決断できずに困っているという夢。

食事に行っても、沢山あるメニューの中で迷ってばかりで、なかなか決まらず、挙句に同行者は食事を終えて店を出て行ってしまう。。。

買い物へ行っても、買いたいものは決まっているのに、いくつかある種類から、どれを選んでいいかわからず、周りに急かされながらも決められずあたふたしている。。。

そんな優柔不断な自分の夢だ。

実際の自分はその真逆だ。
昔から迷っている時間がもったいないとばかりに、なんでも即決。
そのせいで失敗することもあるのだけれど、なんでも迷わず潔く決断できるのは、自分の長所ではないかと思ってきた。

いつも迷わずに決断できる自分が、なぜ夢の中ではあれほど優柔不断になるのだろうか。。。まるで解せない。

相変わらず、夢占いなどは信じない。
そこで自分で考えてみる。これは心理的に何か意味があるのかと。

「なんでも考えなしで即決するのは避けるべき。だから失敗するの」

「もう少し思慮深くなった方が、物事がうまく運ぶかも」

「自分を過信せず、少しは疑ってみたら?」

なるほど、なるほど、なんとなくそれらしいことが浮かんでくる。

思えば、私は軽すぎるのだ。物事の先を見て判断するよりは、その時のフィーリングと感というようなもので、なんでも決めてしまう。
「感」というものは侮れないと思っているけれど、もう少し他の情報を加えた上で精査することをしてもいいのかもしれない。

夢の中で迷うというのは、もう少し慎重になった方がいいのではない?という、自分の心の声なのかも。。。

一件落着である。





さて、もう一つ。よくみる夢がある。

それは手に入れようと思っていながら、なかなか手に入らないものを追い求めている時に見る夢だ。

手に入れるために必要なことをしようとするのだけれど、どうしてもうまくいかない。

例えば、ネットで欲しいものがあり、買い物をしているとき、なかなかクレジットカードの番号を入力できない。何度やっても間違えてしまって、そのうち売り切れになってしまう。

早く行かなければ売り切れてしまうのに、なぜかその店にうまくたどり着けない。結局、閉店までに店に行くことができない。

そんな夢を見始めると、その欲しいものが手に入るまで、毎日でも同じ夢を見るのだ。

どれだけ欲しいのだ⁉︎

少し自分でも呆れる。。。それがお菓子など食べ物だったりすると、余計に「いい歳をして、頭の中はお菓子のことでいっぱいか⁉︎」と、驚いてしまう。

もっと驚くのが、それが手に入った途端に、そんな夢はピタリと見なくなることだ。

これは「なんとしてでも手に入れなければ」という執着はもちろんだけれど、もしも上手く入手できなかった時のショックを緩和するために、夢の中で失敗を経験するためではないかと思うのだ。
失敗することをしっかりとシュミレーションしておけば、いざそれが起こった時でも冷静に対処できるだろう。

実際は成功するまでその夢を見続けるのだ。失敗すればするほどその夢は執拗に追いかけてくる。冷静もなにもあったものではない。。。

もうこれは、どんなものであろうと、手に入るまでは頑張ってやり続けろ!
さすればそんな夢は見なくなる!

ということで一件落着としよう。





そういえば、私は夢の続きを見ることや、夢のストーリーを自分の好きなように変えたりできることがある。
それなのに、この夢の時はそれが通用しない。。。
それだけずっぽりと眠れているということなのだろうか?
そもそも夢の内容をコントロールできるということは、それが夢であると半分わかっている曖昧な状態のときといえる。
つまり、夢の内容をアレンジできるということは、きちんと眠りに入っていないということなのだろう。

ならば、コントロールできずに、気分のよくない夢ばかり見るのは、ひょっとしてる熟睡している証拠?

いや、熟睡していれば、そもそも夢を見ることもないだろう。

いやはや、夢というものの解釈はなんとも難しいものだ。。。

もう夢を見るのは面倒だ。できることなら、何にも頭の中に置かず、ぐっすり眠りたい。

つらい時に見る父の夢と、存在しない和菓子。

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最近、ちょっとばかり心配事などもあったせいか、コロナ禍からの生活の変化が影響してか眠りがとても浅い。

昨夜も眠りの浅いところで夢を見ていた。

もう15年も前に亡くなった父親の夢だった。
心配なことで心が満たされているような時は、決まって父が夢に出てくる。
笑って「大丈夫だよ」というのがお決まりなのだけれど、今回は少し違っていた。

夢の中の私は誰かの妻でも母でもなく、まだ「父の娘」で、舞台はかつての実家だ。
帰宅すると、玄関の外で父が待っていて、笑いながら和菓子の包みを差し出してきた。

私が年に数回行く、ある和菓子屋さんのものだった。

包みを開けると、その店ではまず作らないであろうお饅頭が4つ。
見た目は名古屋の『餡麩三喜羅』ようでいて、中身はやたらと水分量の多いトロリとしたこし餡、その中に薄くスライスされた生姜の糖蜜漬けが入っているという、いまだかつて見たこともない和菓子だった。

「美味しいよ。好きだろうと思って買ってきた」

父はそう言っていた。

この夢は一応ストーリーもあってダラダラと続き、目覚めた時には細部まで覚えていたのだけれど、少し時間が経ったらフレーム以外はぼんやりとしてしまった。

ただ、このお菓子のくだりだけは、鮮明に思い出せる。





とうの昔に亡くなった肉親が夢に出てくるのは、どういった心理からなのだろう。

心配事があるたびに父が顔を出すということは、知らず知らずのうちに父にすがっているかとも思う。

生前、いつも私を護り、どんなことがあろうとも、そばにいてくれた唯一頼れる存在であった父だ。
亡くなった時、これからは自分を守ってくれる人も助けてくれる人もいなくなった。人に頼らず、しっかり生きていかなければ。そう思うほど、私は父に頼り切っていた。

もしかしたら、今でも私は父を心の拠り所にしているのかもしれない。
どうにもならないこと、出口の見えない不安がある時、必ず私は心の中で祈ってしまう。

「パパ、お願い。

助けて。

守って」

心の中でそう父にすがるだけで、なんだか安心するのだ。

生きていようが亡くなっていようが、きっと父は私を護ってくれるはずだと信じている。

ちょっと馬鹿げたことだと頭ではわかっているけれど、本気でそう信じている。

50を過ぎてもまだまだ道に迷うこと、後悔することの連続だ。

どうしていいのか分からずに途方に暮れて、気持ちが落ち込むこともある。
性格上、そんな時はありとあらゆる行動によって打破していこうと思うのだけれど、うまくいかないこともある。
そんな時、私はいまだに父を必要としている。





頼れる人はいないと思っていたけれど、実際は家族がいてくれる。
かつて日本にきたばかりで頼りなかった外国人の夫も、今では立派に家族を支え、苦しいときにはそばで「大丈夫」といってくれる。

笑顔で「大丈夫!」と、ブルドーザーさながら問題解決に行動する姿はバイタリティーに溢れていて、そばにいると安心できる。

それでも人は万能ではない。全てがきれいに片付くわけではないこともある。

そんな時、最後はやはり父にたどり着く。

父が夢に出てくるのは、私がつらい時だけ。この15年変わらずだ。

夢判断などはあまり信じていないから、きっとその夢の意味は、私の心理的安心のために作り出されたものなのだと思っている。

夢の中で父がいつものように笑っていたから大丈夫なのだろう。

そう思って、頑張ろうと思えた。

父の夢は私にとって神社でいただく御守りみたいなものなのかもしれない。。。