In other words

I really don't know life at all ...

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スマホを忘れて外出。不便だと思った瞬間と、スマホとの付き合い方。

時折スマホを家に置いたまま外出してしまうことがある。
ほとんどの場合、家を出て気づくのだけれど、ひとりで外出する時は取りに戻ることはない。

さすがに家族や友人、知人など誰かと会う時は、予定の変更なども考えられるので、相手のご迷惑になるといけないと取りに戻るけれど、基本的には昭和世代はスマホのない青春時代を送ってきたのだ。スマホなどなくてもちっとも困らない。そんな気持ちなのである。

しかし、実際はどうかと言えば、困ることも増えたと最近は感じるようになってきた。

まず、スマホがお財布の代わりもするようになったことだ。
私はいまだに現金主義で、お買い物は可能な限りキャッシュで支払うようにしている。以前はクレジットカードを主にしていたのだけれど、現金支払いの方が無駄遣いが少ないと気づいたので、自身の生活を守るためと、あえて時代に逆行しているのだ。

スマホのお財布機能は使わないけれど、私の場合は自然と貯まってしまったポイントがある。ポイントはお金と同じだ。お買い物ができてしまうのだから。

近隣の商業施設やスーパーなどなど。あまり気にしていない割には、精算時には必ず提示してしまうので、知らないうちにポイントが貯まっているのだ。

ポイントはつけてもらうのだけれど、それを使うのはだいたい1年に一度。ポイントが失効する直前になると、途端に「これを使わなければもったいない!」と思いはじめ、急いで使うといった具合。



先日、ある商業施設内にあるお洋服屋さんで、いいなと思ったセーターを見つけた。たまたまセール価格になっていたので、ここでポイント消費してしまおうと思った。
ところがポイントカードはずっと前にスマホのアプリに取って代わっていたのだ。当時はカードを持ち歩かなくて便利と思ったものだけれど、スマホが手元になければ意味がない。
この日、私はスマホを忘れて外出したので、ポイントでの精算ができなかったのだ。結局、セーターは買わずに店を出た。
この時、スマホのない不便さを感じたのだった。

他にも不便だなと感じたのは、すぐに記録ができないことだ。
以前はペンと小さなメモ帳は必ずバッグに入れていたものだけれど、仕事もしていない専業主婦にはもはやスマホがあれば余計なものは必要ない。
記録しておきたいことがあれば、パシャっと写真に撮っておくか、メモ帳アプリにサッと入力しておけばいい。
記憶には頼れないので、これもスマホがなければ、なす術もない。

それからブログ。
私は家でも外出先でも、ブログに書きたいと思うことが浮かぶと、すぐに「はてなブログ」のアプリを開いて、後で思い出せる要点だけをサッと書いて下書きに残しておくようにしている。これもスマホがあればこそである。

先日も信号待ちをしている時に、ふと頭に浮かんだことがあった。信号は赤に変わったばかりで、メモ書きする程度の時間はたっぷりあった。
バッグに手を入れたとき、スマホ忘れたのだっけ。。。と思い出した。

私の頭の中はいつも雑多な事柄で溢れかえって、片付いていない部屋のようなので、この機を逃すと確実に行方不明になる。そして二度と思い出すことはない。
たかがブログのネタなので、忘れ去られたとて問題はないのだけれど、自分としては後で思い出せないと、ちょっとがっかりするだ。



こんなことがあっても、相変わらずスマホを忘れて外出してもそれほど慌てたりはしない。不便だなとは思うけれど次の瞬間には「ま、いいか。。。」と思うだけだ。
50代の私は人生の半分はスマホなしの暮らしを楽しんでいたのだ。そんな意味のない自負がある。
確かにあの青春時代、もしもスマホがあったら、もっともっと楽しめたかもしれないと思うことはあるけれど、一方でアナログゆえに手をかけ時間をかけたことが、いま心の基盤になっているとも言えなくない。
アナログな時代を生きてきたことが自信になっているのだ。

例えば、大変な時代を経験してきたお年寄りは、概してその経験値や忍耐力ゆえか、肝が据わっているものだ。
ちょっとばかり例えが変だけれど、ニュースで観る、山で熊と遭遇しても顔面パンチで撃退する類いの人は、ほとんどがお爺ちゃんだ。私なら山で熊になど遭遇したらイチコロだ。。。
そんなお年寄りの足元にも及ばないけれど、少しばかり大変なことを経験すると、自然と力がつくのだと思う。

大変な思いなどしないに限るけれど、いつ不測の事態に直面するかわからない。これは神のみぞ知ることだと、心しておかなければいけないと思っている。

そんな気持ちが根底にあるせいか、意図せずにスマホには執着しないようにしているのかもしれない。。。
食べることと韓流ドラマにはあれほど執着するのに(笑)


スマホの便利さを知った今でも、子供達のように四六時中手元に置いて生活をすることはない。
家にいてもスマホを手にするのは、ブログを書く時が一番長い。次がamazon楽天などショッピングサイト巡り。
以前、Netflixなどもスマホで観ていたのだけれど、少し前に長女がリビングのTVにファイアースティックをつけてくれたので、最近はそちらで鑑賞している。



少し前に更年期による不安症、心配性についてブログに書いたことがあるのだけれど、その改善策として「寝る前にスマホでハッピー動画を観て、不安感を払拭する」ということをしていた。
最近はそちらも少し落ち着いてきたので、寝る前にスマホを手にすることはなくなった。


そんな感じなので家族や友人からのLINEを半日くらい気付かず平気で放置してしまい、急な用事の時などは電話がかかってきてしまったりすることもある。人様にご心配やご迷惑をかけるのは本意ではないので、もう少し気を配る必要は感じている。
これは50代の夫も同じで、TVも観ないしスマホを使うのは仕事の時と、連絡の時くらいだ。
ただし、その「連絡」というのがかなり頻繁なので、スマホに依存というよりも、人依存ではないかと思っている(笑)
そんな夫婦なので子供達が旅行中に隙あればとスマホを手にするのを見て、苦々しい気持ちになったりもした。
スマホではなく、この雄大な自然の美を堪能せよ!と。

そうは言っても、やはりスマホの重要性を否定することはできない。
先日乗ったANA全日空)も4月からは、チェックインから搭乗まで、すべてスマホQRコードで処理されるという。
スマホを使いこなせないと、不便以前に何もできないという社会になりそうだ。
アナログ礼賛などと言っている場合ではないのだ。

本当かどうかはわからないけれど、最近「スマホ認知症」というワードを見聞きするようになった。
スマホの使いすぎによって、脳機能が低下し、記憶力や集中力の低下、その他にも色々な症状をきたすらしい。
まるで私が直面している老化現象そのものだ。
これ以上、そんな症状が加速していくと、将来夫や子供達に迷惑をかけそうなので、やはり私にとってスマホは「あれば便利だけれど、なければないでいいわね」と、生活するに困らないい程度に使えればちょうどいいようだ。