In other words

I really don't know life at all ...

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「調理定年」を知り、子育てを卒業後は楽をしていこうと思った件。


黒酢酢豚を作ると、必ず「いらない」と言いながら、傍らから肉だけ摘む夫。それはやめて欲しい。

少し前に『クロワッサン』という雑誌のオンラインサイトで、面白い記事を読んだ。

「女の人よ、『調理定年』を考え、もう料理はそこそこに」

そんなタイトルがつけられたこの記事。

「調理定年」とはなんぞや?
私は初めて知った言葉だった。

調理定年とは、手作り主義をほどほどにし、外食やテイクアウト、スーパーのお惣菜などを上手に取り入れながら、必要な栄養を摂ること。

男性の仕事には定年があるのに、女性はいくつになっても食事を作り続けなければいけないということに疑問を呈した記事だった。

いまは女性も男性同様に働く時代なので、すでに便利なサービスを取り入れているご家庭もあるかと思うけれど、私のような50を過ぎた年代は、まだまだ専業主婦も多い。
当然、ワンオペは当たり前。私も家事全般を一手に引き受け、すべては家族の健全な生活を優先にと20数年過ごしてきた。

それに対して特に不満はない。夫婦の役割分担として、夫は働いて必要なお金を持ってくるのが仕事、私は家で家事育児を担うのが仕事と夫婦で合意していたので、ワンオペも当然だと思ってきた。

主婦は24時間オンコールで大変という声もあるけれど、外で働きお金を稼いでくるのもまた大変なことだ。

お互いに相応のストレスもあるけれど、家族のため、とりわけ子供たちのためと思えば踏ん張ることもできた。



家事の中でも、お掃除やお洗濯は決まったことをすればいいだけなので簡単なのだけれど、お料理はかなり大変な家事だ。

まず献立を考える。これも栄養のバランスや家族各々の好み、加えて予算なども考慮しなければいけないので、かなり面倒だ。
そしてお買い物。真夏の暑い日も、凍えるように寒い冬の日も、両手に石のように重たい買い物袋を提げて歩く。
ここでようやく半分で、そこから調理をし、食べさせ、後片付けをするまでが炊事なのだ。

人は一日3食が普通なので、朝ごはんを用意し、お昼ごはんは外で済ませてもらえればいいのだけれど、子供がいたりすると、早朝からお弁当の用意をする。
そして夜は家族が帰宅する時間に合わせて晩ごはんだ。

子供達が幼い頃は、おやつも家で作っていたので、本当に一日中キッチンに立っているのでは?と思ったこともあった。

元々料理は嫌いではない。
好きというよりは、食いしん坊なので、自分好みのものをあれこれと作るのが楽しく、毎日の炊事も大変ではあるけれど、結構楽しんできたつもりだ。

ところが、昨年長女が独立し家を出て、次女が大学生になった途端、なんだか日々の食事作りが次第に面倒になってきた。

子育てを卒業し、家事全般が軽減されたことで、食事の用意にも気合いが入らなくなったのだ。

家族の健康のため、そう思っていたけれど、子供達を健全に育てるために頑張っていただけなのだと気づいた。

もちろん外で頑張って働く夫のためもあるけれど、夫自身はもう大人なので、妻に世話を焼いてもらわずとも生きてはいける。
とはいえ、夫が稼いできたお金で暮らしている身としては、最低限の家事はまだ私の仕事だ。

役割分担として子育て以外の、家を整えること、食事の支度をすることくらいしなければ、ただの穀潰しになってしまう。
働かざる者食うべからずで、外で仕事をしていない私は、家で働かなければいけない。



自分ひとりならば、食べるものなどなんでも構わない。
作るのが面倒であれば、一汁一菜で済ませてしまうこともできるのだけれど、夫がいるとそういうわけにもいかない。

しかし我が家の夫は日本人ではないので、魚を焼いたり味噌汁を作ったりする必要はない。
面倒な時は、ハムとチーズを挟んだカスクートなどを作ればいい。
朝もパンかシリアルがあればOKだ。
夜もオーブンに放り込んでおけば出来上がる簡単料理やステーキ肉でも焼いてあげればご馳走になる。

多分、普通の日本人家庭よりは、ずっと楽なのだろうと、友人達の話からわかる。

夫自身、私の家事に対してうるさいことはほとんど言わない人だ。
「疲れたから食事の支度をしたくない」と言えば、「ピザでもデリバリーする?」「なにか買ってこようか?」と、言う人だ。
気が向けば野菜など一切ない、肉だらけのパスタなどを作ってくれたりもする。

まだ同居している大学生の次女も、「大変なら別に無理しなくていいよ」と、勝手にバーガーなどを買ってきて済ませてくれる。

誰に何を非難されるわけでもないのに、どこかに「食事の支度は専業主婦のお仕事」と自分で思っているのだろう。
きちんと食事の支度をしないと、自分の役目をおろそかにしているような気になる。

これは自身の意識改革が必要なのかもしれない。
そんなことを本気で思うようになった。

しかし。。。まだ夫は現役で仕事をしている。定年まで最低でも10年以上あるので、役割分担としては、私の調理定年もまだ先ということになる。

夫が頑張って外で働いているのに、自分だけお先に定年を迎えるのは、図々しい私でもさすがに申し訳ない気持ちになる。

ただ、件の記事にもあるように、毎食ごとに食事を作る必要はない。
時にデリバリーをしたり、デパ地下やスーパーのお惣菜を買ってきて食卓に並べてもいいのだ。
そこに罪悪感を持ち込む必要はない。

問題は我が家の夫はデパ地下惣菜などを好まない。たまに一緒に買い物へ行くと、物珍しいのか喜んであれこれ買い込むのだけれど、私が「今日は買ってきたもので」とデパ地下惣菜を並べると、あまり食が進まないようで、好きなもの以外には手をつけず、食後にまたパンを食べたりするのだ。

多分、私のチョイスが好みではないのだろうと思うけれど、その時々で気分がコロコロ変わる夫の胃袋事情まで頓着していたら、もう何を買っていいかわからなくなる。
ある程度、夫の好みは把握しているけれど、とにかくその時の気分でその好み自体をひっくり返してくる人間だ。まさに予測不可能で、時々どうしていいのやらとうんざりする。

一方で夫の好むピザやバーガーなどのデリバリーは、私が受け付けない。たまにならいいけれど、毎回毎回ではこちらの胃腸が保たないのだ。

最近では家でも別のものを食べることが多くなった。わざわざ家族に洋食を、自分用にちょっとした和食をとなると、これもかなり面倒なのだけれど仕方ない。

『調理定年』となった暁には、夫と私が「別々のものを買って食べる」
それが一番いいのかもしれない。コスパは悪くなりそうだけれど、食は人が生きていく上で、とても大切なことだ。
心も身体も満足できるよう、そして面倒な食事作りからの解放も考えながら、いい塩梅の落とし所を見つけて行かなければと思ったのだった。