In other words

I really don't know life at all ...

Sponsored Link

年賀状はいつになったら買わずに済むようになるのか。。。年賀状仕舞いした者の本音。

今年もまた年賀状が数枚届いた。
私が年賀状仕舞いをしてから、もう何年になるだろうか、ちょうどメインブログを始めた頃なので、かれこれ7年以上は経っているはずだ。

最初の頃は結構な数の年賀状が届いていた。当然頂いておきながら無視もできないので、年が明けてから年賀状を送った。
最初の年は年明けに年賀ハガキを買いに走るのが大変だったので、翌年からは15枚ほどの年賀ハガキを用意するようになった。

それから数年、届く年賀状の数はかなり減ったのだけれど、それでもまだ買っておいた年賀ハガキが捌けるほどには届いた。
頂いたら、こちらからも出す。これは当然の礼儀ではないかと思っていたけれど、よくよく考えてみればイタチごっこになる。
だからこそ、毎年毎年年賀状が届くのかもしれない。。。
そう考えて、ほぼ交流のなくなった方には送らないようにし、そうでない方々もメールのやり取りがある方々には、メールやLINEで新年のご挨拶をするようにした。
このおかげで、翌年からはかなり届く年賀状が減ったのだった。

ただ、お年寄りなどはメールでのやり取りはないので、やはり年賀状がくれば、これまで通り送ることにしている。



思えば、年賀状を書いて送るのは、毎年本当に負担だった。
全て印刷で済ませればいいのだろうけれど、どうせ送るのならオリジナルな素敵なものを!と、自分でデザインを考え、慣れないパソコンで写真などを貼り付けたり、文字のフォントに凝ってみたりと、とにかく仕上げるのに時間がかかった。
そして、これもまたくだらないこだわりなのだけれど、宛名書きも自筆で書きたいと、毎年新しい筆ペンを買い込んでは、一枚一枚宛名書きをしていた。

十数枚なら大したことはないけれど、我が家の場合、夫が外国人のため、夫の日本人仕事関係者や友人知人、加えて子供の分もと、毎年100枚以上は用意していたのだ。
人の年賀状など、他人はそれほどの興味を持って見るわけではない。どんなに気合を入れて作っても、その労力に見合うリターンなどない。まさに自己満足の世界なのである。
そうわかっていても、やめられないのは、やはり全てを自己満足で完結しようという私の厄介な性格によるものでもある。
自分の首を自分で絞めているような「こだわり」は、嫌だ嫌だと思いながらも、年賀状仕舞いをするまで続いた。

長年そんなことをしていたので、年賀状仕舞いを決めた時には、本当に肩から荷が降りたという清々しさでいっぱいだった。

面倒な年賀状とは、これできれいさっぱり決別よ!
そんな気持ちになっていたこともあり、新年になると届く年賀状に、正直げんなりとした。



子供達が幼稚園の時の同級生ママの一人は、今ではまったく交流がないのにも関わらず、子供達が成人した今でも変わらず送ってくる。
最初の頃は、きっと年賀状リストに載せたままで、印刷したものをただ送っているだけなのね。と思っていたのだけれど、さすがに20年近く経てば、リストの見直しくらいするだろう。
ましてや、いまは年賀状仕舞いをする人の方が多い時代になっているのだから。。。
それでも送ってくるということは、これはある意味私に共通する「自己満足」ゆえなのかもしれない。
とにかく年賀状を作るのが楽しくて、それを送ることに意義を感じているといった具合だ。
人様の頭の中のことはわからないので、確証はないけれど、私の想像の範囲ではそんなところだ。

そこで、その方には申し訳ないけれど、年賀状を送るのをやめた。メールアドレスも知らず、LINEも繋がっていないので、無視という状態だ。

これはさすがに心苦しくもあり、毎年元旦になると、「またきたのね。。。まだくるのね。。。」と、やはりこちらからも送るべきかと少しだけ悩んだりするのだけれど、もしかしたら消えかけた火に油を注ぐ結果になる可能性も考慮し、心苦しさを感じながらもグッと耐えている。

今年、私宛に届いた年賀状は3枚だった。
念のためと買っておいた年賀ハガキは5枚なので、かなり年賀状仕舞いが進んでいるとみられる。

いまだに家族で交流のある年配の知人には、急いで書いて送ったけれど、かつてのママ友からの年賀状は今年もまたスルーさせて頂いた。

来年はどうなるのだろうか。。。
自分はとっくに決別したはずの年賀状に、元旦から思い巡らせるのもそろそろ終わりにしたい。。。
使うか使わないかわからない年賀状を用意することも、もう終わりにしたい。。。
そんなことを思った2024年の始まりなのであった。