In other words

I really don't know life at all ...

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お節もご馳走もないお正月。なにもしない年末年始を体験して思ったこと。

謹賀新年

西暦2024年【令和6年】辰年

瞬く間に2023年が終わり、新年を迎えてからもう2日目。
「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、本当に月日が流れる速度は歳を追うごとに速くなっている。
人生100年時代とはいえ、こうも時の流れが早いと、やるべきことはできるうちにやっておかねばと、多少の焦りを感じたりもするのだけれど、きっと今年ものんびり過ごすのだろう。。。

昨年はなかなか大変な一年であった。
簡単にいえば、低迷した一年といった感じで、どんなに足掻こうとも事態が一向に好転しない。そんなもどかしい一年でもあった。
物事があまりにもうまくいかないので、最後には開き直り、無駄な努力は心身共に消耗するだけだと、なにもしないことにした。

そんな心理状態と諸々の状況から、
「よし!もう年末年始も、特別なことはなにもせずに過ごそう!」
そう思い立った。

長年、年末は夫と連れ立って築地や銀座のデパ地下へ繰り出し、派手にご馳走を買うのが恒例であった。
ところが一昨年の暮れは夫が仕事で不在だったため、例年よりもお正月支度は控えめだった。
そして昨年も夫は年末年始を含む長期出張が決定し、お正月は不在ということになった。
クリスチャンである外国人夫にとってクリスマスは重要でも、お正月は「ただ新しい年を迎えるだけ」という意識のようで、年末年始の買い出しも私の荷物持ちとして参戦していただけだ。

二人の子供達が成人した段階で、これからは家に留まらずどこへでも行って好きに仕事をしたらいいと夫婦で話し合った。
私も常に夫がいなければ困るということもない。むしろ夫の世話をする必要がなくなるのだから、そんな状況は私にとっても好ましい。
夫は好きに仕事をし、私は家事軽減とまさにWin-Winというわけだ。

今回も「年末年始だけでも帰ってくるよ」と言われたけれど、わざわざカウントダウンしに帰ってくるのは飛行機代の無駄。それなら出張先で新しい年末年始を見てきたら?と提案した。
常に新しい環境や体験をおもろしろがる夫は、すっかりその気になり、今回の年末年始も夫不在ということ決定。
私の開き直りによって考えた「なにもしない年末年始」にGOサインが出たのだった。



「なにもしない年末年始」とは、つまり普段通りに過ごすということだ。

まずは大掃除をやめた。例年11月からボチボチと大掃除を始めていた。断捨離をすると粗大ゴミが出るのだけれど、それを引き取ってもらうのも予約制で、何かと時間がかかるため、早めにスタートを切るのだ。
もう捨てるような粗大ゴミもないし、特に気合を入れて掃除をするようところもない。

長女は家を出て一人暮らし、夫は長期出張で不在、残る次女も大学にバイト、彼氏やお友達とのお付き合いでほとんど家にはいない。
まるで一人暮らしのようなので、家が雑然とすることもない。
私は専業主婦なので、毎日掃除はしているし、いつも家族4人揃って生活していた頃に比べると、常に綺麗を保っていられるのだ。
いつも通りのお掃除だけで十分。わざわざ大袈裟な掃除などする必要はないと、大掃除はやめることにした。

そして年末のメインイベントである買い出しをやめた。
この買い出しはお節料理をはじめ、我が家の場合は刺身やイクラなど魚介、生ハムやパテ、オリーブなどオードブル系。夫の希望で数種のチーズも揃える。お酒は飲みたい人が揃えればいいと、いつも夫が調達してくる。
そして2日から食べ始めるお肉。これはすき焼き、ステーキ、焼肉など、肉好き家族のために大量に用意する。
そこにお菓子や、大晦日の年越し蕎麦なども加わり、まさに年末の大盤振る舞いとなる。
次々と財布から旅立つ諭吉さんもなんのその、「お正月くらいは贅沢してもバチは当たらない!」と、やたら気持ちが大きくなる。
夫も「そうだ!そうだ!」と好きなチーズをバンバンとカゴに放り込んでいく。
唯一、冷静なのは長女だ。
たまに買い出しについてくることがあったのだけれど、「もう、これで終わりにしたら?そんなに買っても食べきれないよ」と、「冷蔵庫に入り切るの?ちゃんと考えてる?」などと、苦言を呈してくるのだ。
それでも大蔵大臣である親の特権で、「お正月だからいいのよ!」とまるで何かに取り憑かれたかのように買い物をしまくるのだ。

いざ、そんな買い出しをやめてみて、あの熱狂は一体なんだったのか?食べ残すことはなかったけれど、それでもどれだけ無駄遣いしてきたのだろうと青くなる。。。

いつも、「必ず買わなければいけない」と思っているので、もうお値段にはあまり目を留めずにいたのだけれど、「買わない前提」で見ていると、ビックリ仰天しきり。
お正月価格というものか、あれもこれもとにかく高いのだ。
例えば蒲鉾などがその筆頭で、お安いうちに買うと元旦には賞味期限切れとなるため、お節やお雑煮にとなると、必然的に値上がりしている時に購入しなければならない。
これは上手くできてるものだなと、感心したり。。。
いつもと違うことをすると、学びはあるものなのだ。



お節料理も市販のお重の中には、普段は口にしないようなものが並ぶ。最近では洋風や中華風、お菓子のお節まであるから、好みで選べばいいのかと思うのだけれど、これもまたすごく高い。
いつも百貨店でお節料理のカタログなどを頂き、どうしようかなと悩むのだけれど、小さなお重でも数万円はする。好きでもないものに、これほどのお金を出すのはどうなのか?いつも迷いながらも買ってしまうのは、まさにお正月マジック。

これは日本人としての「和の心」を証明したいだけなのだ。
誰もがスマホを手にする時代で、生活も昭和の時代とは打って変わった。それでもお節料理にこだわるのは、古いものにとらわれているというよりは、それを守っていきたいという気持ちもあるのだろう。
私も外国人と結婚したことで、より自分は日本人としてのアイデンティティを持ち、それを子供達にも伝えていかねばと躍起になってきた。
季節季節の行事には、とりわけ気を遣ってきたので、お正月のお支度もその一環であったといってもいい。

しかし、子供達も成人した。もはや私の子育ても終了だ。日本人としての心は十分に伝えたはずと、勝手に卒業することにした。

そんな卒業を機に、一昨年ごろから「お節料理はやめようか」と、ずっと考えていた。
しかし、祝膳だし。。。神様へのお供えの意味もあるし。。。と昭和気質ゆえのこだわりで、決心がつかなかった。
誰も好んで食べることはないとわかっていながら、夫不在の一昨年でさえもギリギリまで迷い、小さめのお節料理を買って用意した。
本当に買わないつもりでいて、百貨店のカタログも早々に処分したのだけれど、ネットでよくお菓子をお買い物するサイトを見ていたら、「やっぱりお正月にお節料理がないのはね。。。」と最後の最後にはポチッとしてしまった。

お節料理は高い。。。このお節代で好きなフェイラーのハンカチが何十枚買える⁉︎と、後から後悔したのは言うまでもない。



それほどに心かき乱すお節料理だけれど、今年ようやく用意しないお正月を迎えることができた。
お節料理を用意し「やはり買わなければよかった」と思ったことは数知れないけれど、用意しなかった今年「これは正解!買わないでよかった」と、心の底から思った。

確かに元旦のテーブルにお節料理が並ばないのは、慣れないせいかなんだか物足りなさも感じる。
しかし、それは「お正月」の特別感を期待してのことなのだ。「元旦」でもなく「お正月」でもなく、「いつもと同じ一日」と思えば、どうということもない。

今年は長女宅で元旦の朝を迎えた。
用意したのは自分で焼いたサワードウブレッド、それに大好きなチーズ2種類とコールドミートだけ。
これは我が家では普段でも好んで食べるものなので、いつもより高額なチーズを買った以外は、いつも通りの食卓だ。

お菓子は花びら餅を用意したけれど、お正月だからと言うよりも、お正月にしか出回らないので買っただけだ。
お菓子は私にとって趣味なので、これも平常通りの消費行動に他ならない。

そんな質素な元旦だったけれど、本当に好きな美味しいものを味わい、なかなかよい一日を過ごすことができた。

長女のところから自宅へ帰る途中、たまたま元旦から営業している百貨店の前を通った。
初売り会場でものぞいてみようかと立ち寄ったのだけれど、目ぼしいものはなかった。
デパ地下は結構混雑していて、みんな福袋がお目当てか、いくつも手にしている人を見かけたけれど、たとえ食べ物でも欲しいものはなかった。
今時の福袋は中身が見えるものも多いので、しっかり内容を確認できるのだ。
確かに通常のお値段以上のものが詰まっているのだけれど、中に入っているもの全て自分の好きなものかと言えば、それは違う。
そう考えると決してお得でもないと、私は思ってしまうのだ。

10代の頃は、原宿ラフォーレなんかでお洋服の福袋を買っていた時期もあったけれど、大人になってからは一切福袋は買わなくなった。
同じ値段なら、そこそこ好きなもの10個よりも、本当に好きなもの一つの方がいいと私は考えている。
余計なものは欲しくないのだ。



昨年暮れはまだ暗いうちから寒い中、築地を歩き回ることも、混んだデパ地下を梯子して足を棒にすることもなかった。
暖かい家の中で、のんびりとブログを書いたり、ベランダの植物観察などをして過ごしていた。

そしてお正月もしかり。元旦の朝に忙しなくお節料理やチーズを並べ、お刺身を切ったり、その他お料理を盛り付けたりなど、キッチンに立ちっぱなしということもない。
本来なら2日である今日から、お肉デーが始まるので、すき焼きやステーキ、焼肉などの用意も油だらけになったキッチンをお掃除する必要もない。

今日はひとりなので、朝はいつも通りご飯に納豆、味のり、豚汁でサラリと済ませ、お昼は残り物のチーズとコールドミート。
夜は一人でことこともつ鍋だ。
なんと楽なのだろうか!
こんなのんびり、ダラダラとしたお正月を知ってしまったら、もはや元には戻れない。
今後もこれでいいではないかと思う。

そう言えば、知人でも同じように、お正月は特になにもしないというご家族がいた。
元旦といえどもいつもと同じだそうで、一人暮らしのお子さんなどが帰ってくることもないと言う。
それを聞いた時、いろいろなお宅があるものなのね。。。でも、つまらなくないかしら?と思ったものだけれど、つまらないどころか、実際にやってみればこの上なく快適である。

よい点はのんびりできるということだけではない。もっとすごいのが、その節約効果だ。
今回、家計簿をつけていて、笑いが止まらなかった(笑)

年末に遣ったのは、年越し蕎麦&天ぷら代。チーズとコールドミート、花びら餅代くらいのものだった。

トータルすると、¥15,000程度だ。これは過去平均額の10分の1だ。
フェイラーのハンカチが50枚は買えてしまう!

お正月のお支度に何十万も遣うのなら、ゆくゆく年末年始は夫と二人でどこか旅行でもした方がいいかなと思う。
実際、今年のお正月も夫が「こっちに(赴任先)旅行においでよ!」と言っていた。年末年始は混雑するから嫌よと辞退したけれど。。。

とにかく、もう従来通りの過ごし方をしなくてもいいのだということがよくわかった新年だった。

ここ数年の物価上昇、年貢の取り立ても年々厳しくなっているいま、旅行などと悠長なことは言っていられない日が来そうな気もするけれど。。。

私がまだ若く、これからガンガン稼ぐわよ!と、そんな士気でもあればまだしも、50も半ばを過ぎて稼ぐよりも今あるものを守る方が楽と、すっかり隠居状態だ。
夫はまだまだ「頑張って稼ぐぞ!」と、若い気でいるけれど、私はもうそんな気力はないので、無理のない程度に節約していくことは不可欠であると思っている。
そうしたことからも、なにもしない年末年始は、今の自分の暮らしに見合っていると言ってもいい。



今日は年が明けてから2日目。
いつもなら近くの氏神さまに初詣へ行っているのだけれど、今年は初詣にもいかないつもりだ。
別にお正月に出向かずとも、少し落ち着いてからお詣りしてもいいのだから。

なによりも昨年があまりに散々な一年だったため、「神も仏もないのか」と思い、少し拗ねているせいもある(笑)

いいことがなくても、普通に家族みんなが元気で、毎日しっかりご飯を食べ、屋根のある温かい家で過ごし、清潔な衣服を着て過ごせる。それだけで感謝すべきなのだろうと思う。
長い人生、山あり谷ありだ。思い起こせば、昨年よりももっと酷い年はあったはず。
拗ねたり不貞腐れたりするのはやめよう!
「足るを知る」と思い、今あるものに感謝して明るい気持ちで新しい年を過ごそうではないか。

今日は特になにもせず、ブログを書いたりしながら、のんびりと過ごしている。
そのためか、ダラダラと相変わらず饒舌だ(笑)

昨年はこのブログの更新頻度もかなり低くかった。色々と書きたいことはあれど、他の2つのブログを優先しているため、どうしても忘れがちになるのだ。
毎年言っている気もするけれど、今年も言っておこう。

今年こそはもっとしっかり更新していくつもりですと、そんな風に今ところは思っているので、「今年もよろしくお願い致します」ということで、締めくくることにする。