今回のコロナウィルス問題で、店頭から消えた物資はだれの手に落ちたのだろう。
転売屋が買い占めに走ったり、毎日開店前のドラッグストアに並びペーパーハンティングに勤しんでいる人のことはニュースで知っている。
私が疑問に思っているのは、そんな人達の手の届かないところで売買されているケースだ。
今日、いつもお願いしている宅配サービスの配送品が届いた。
しかし、前回同様にペットボトル入りのお水と生理用ナプキンが欠品になっていた。
これまで毎月定期的に購入し続けていたものが突如として販売ストップになる。これはちょっと困ったことだ。
自分にとって必要なものは普段から十分にストックしているけれど、消耗品ともなれば入手できないことが続けば当然のことながらストックはなくなる。
ローリングストックといって、古いものから使用し、一つなくなったらたらまた新しいものを購入しストックする。備蓄の常識だけれど、私はそれを目に見えるかたちで並べてあるので、新しいものが入手できないとなると、どんどん物が少なくなっていくのがわかるのだ。
こんな時だから仕方がない。
そうも思う。というか、そう思っていた。
同じサービスを利用している知人の、
「あら、うちには届いているわよ」
という言葉を聞くまでは。。。
これは一体どう理解したらいい。
数に限りがあるならば、売り手は当たりクジを引く者をどう選んでいるのだろう。
もしかしたらその会社への貢献度(いくらお金を落としているか?)や付き合いの長さなどで、誰に数少ない物資を当てがおうかと判断しているのか?
このサービスを利用し始めたのは、まだ子供達が幼い頃だった。海外暮らしから帰国したばかりの上に、幼子を二人抱えていたため、お水のケースやトイレットペーパー、お米など重たいもの、大きなものを宅配してもらうために利用するようになった。もう10年くらいにはなるだろう。
10年も同じお店で定期的に買い物をしていて、毎月の支払い額は平均すると5万円。これが多いのか少ないのかはわからない。ただ、その知人に聞いたところ、どこをとっても私の方が上客であった。
知人はそのサービスを始めて間もない上に、月の支払いは2万円でお釣りがくる程度と話していた。
どんな時であろうとも10年以上、定期的に同じものを注文し続けてきたのだ。
定期的に注文しているということは、それが日常的に必要だからということになる。
不測のコロナ不安によって生じた需要とは訳が違う。
普段はあまり買わないけれど、万が一の時のために買っておこう。そんな心理になるのは理解できなくもない。なにを買おうがその人の自由だ。
問題は売る側が売る相手をどう選択しているかということ。
何十年も「必要」だからこそ買い続けていた人の元に届かず、たまたま「万が一のため」という人の元へ届いたと知った時のモヤモヤ感といったら!
そんな昔からの関係なのに、釣った魚に餌はやらないということ⁉︎
黙っていても買う人には、サービスなど必要ないってこと⁉︎
これを商機に顧客の獲得を狙ってサービスをしている?
様々な疑惑が頭の中をめぐる。。。
購入する側と販売する側はどちらもWIN-WINの関係であると思っていた。
買い手は必要なものを手に入れ、売り手はお金を手にする。だから私はお買い物が好きなのだ。
そんなWIN-WINの関係でさえも、こんなことがあるとモヤモヤしてしまう。
これは携帯電話会社に対しても感じていたことだった。
今はどうだかよくわからないけれど、かつては長期使用していれば多少の割引制度はあるものの、新規の方が割安となるのが常だった。
月々家族4人分の通信量といえば5万円では足りない。年間にすれば60万円以上だ。それを何十年も支払ってきている。
それが今初めてきた人の方が大きなサービスを受ける。。。モヤモヤしない方がおかしい。
やはり釣った魚に餌はあげないというのが、ビジネスの上では常識なのだろうか。
そういえば、件の宅配サービスの会社は数年前にも同じようなことがあった。
そこでは時折、目玉商品としての抽選品が出てくるのだけれど、ことごとく外れていた私はそんなものだろうと思っていた。
全国に多くの消費者を抱えているのだから、競争率も高いだろう。分かった上で、外れるのを承知で申し込んでいたので、それほどの落胆はなかった。
しかし、別の知人が毎回当選しているという話を聞き「なぜだっ?」と、モヤモヤした私は、それ以来買い物を控えることにした。
それでも完全に購入をやめたわけではなく、最低限のお買い物はさせていただいていた。
月5万円以上あった支払いが、1万円以下になるぐらい買い控えたのだ。
すると、どうしたことだろう。これまで全敗していた抽選品にことごとく当選するようになった。まさに全勝。
ただの偶然かもしれない。本当に平等なる抽選なのだろう、とは思っている。
その一方で、やはり釣った魚に餌はやらないというビジネス手法を疑う気持ちも捨てきれない。
それは手動ではなく、コンピューターによる仕事なのだろう。多くの消費者の中から誰かが手動でクジ引きしているとは思えない。
ということは、コンピュータによって消費動向を分析した上で機械が誰に物資を届けるのかを判断しているのかもしれない。
ただ闇雲に抽選をして、その客の「運」に任せているとも考えられるけれど。。。
ここでまた、新たな憶測が出てきた。
私にお水や生理用ナプキンが届かないのは、「ここにはストックがあるはずだ!過去に2週間でこれだけの買い物をしている。今すぐに必要あるまい」と、これまでの消費データを元に機械が判断したとも考えられる。
ストックのある人ではなく、今ない人の元に届けよう。そんな善意なのかもしれない。
サービスとはなんなのだろう。
もしも自分が売る側の人間だったらと考える。
ビジネスと考えるのか、ボランティアとするかによって違うだろう。
ビジネスであれば、普段少しでも利益に貢献してくれる顧客に物を届けるはずだ。
たくさんお金を持っていて、たくさんお金を遣ってくれる顧客を最優先だ。
しかし、ボランティアとなると、当然のことながらそんな顧客は後回し。とにかく困っている人に届けたいと思う。
きっと今回の欠品続きも、ストックを持っている私は「困っていない人」ということで提供を見送られているのかもしれない。
しかし、いくらストックがあるとはいえ、消耗品なのだ。毎回毎回欠品が続けば、やがては底は尽きる。
コンピューターがそのタイミングまで見計らってくれるのだろうか。。。
信じるしかないだろう。
そして、全てがなくなってもなお提供されないとしたら、今度こそ本当に「釣った魚に餌はやらないつもりね⁉︎」と、判断することになるのだろう。
今は十数年前に比べれば宅配サービス業者も選り取り見取りだ。大手スーパーなども乗り出しているくらいで、サービス自体も向上している。
これを機会に、より良いサービスが受けられる会社に乗り換えてもいいだろう。
しかし、今はコロナ不安の中で、どこも平常運転が難しい時期だ。
あまり文句は言わず、こんな時こそ冷静に物事を見なければいけないとも思う。
モヤモヤだとか言っていないで、「どこも大変なのだから、仕方ない」と、少し余裕を持つのが分別ある大人の態度といえよう。
ちなみにマスクも定期的に購入していたものの一つだけれど、もはや受注すらしていない。
ただ、マスクもまた備蓄品の一つなので我が家にはまだ余裕がある。
おまけにマスク運なるものがあるとすれば、私は運がいいようでたまたま入ったコンビニなどでたまに見かけるのだ。
買いはしないけれど、案外必要としていない時に限って、巡ってくるということもあるのかもしれない。。。