時々Twitterを見る。正直言えばあまり好きではないのだけれど、どんなことが起こっているか、話題になっているかなど、TVのニュースを見るより早い。
自分のTwitterに関しては、メインブログの「ブログアップしました」という告知メインで、ほとんど余計な呟きはしないので、フォローもフォロワーも極端に少ない。
それでもトピックによってはTwitter経由で多少アクセスアップに貢献してくれるので、消極的ながらも続けている。
今朝もTwitterをつらつらと見ていると、「選択的夫婦別姓」という話題がトレンドに上がっていた。
Twitter上の意見がすべてではないけれど、夫婦別姓を望む人の声の大きさにちょっと驚いた。
夫婦別姓を望む人の多さにではなく、そこまで自分の姓にこだわりを持つ人の多さにだ。
夫婦で姓が違うのはそれほど問題なのだろうか?
また夫婦で姓を同じくすることに、それほど大きな意味があるのだろうか?
私にとってはどちらも大きな問題ではない。
私は国際結婚しているのだけれど、元々国際結婚に関しては、夫婦別姓を選択することができる。
パートナーが外国籍であれば、日本における「戸籍」そのものがない。それでも、求めれば夫となる人の横文字姓に変えることができるのだ。
結論から言えば私は夫婦別姓を選択した。
いや、選択したというのではなく、ただ面倒で手続きをしたくなかったため、そのまま旧姓のままでの婚姻となっただけだった。
姓が変われば銀行の口座からパスポートから、何から何まで変更の届出を出さなければならない。
それを考えたら、そのままで済むのならそれに越したことはないと考えたのだ。
そして、もう一つの理由が外国姓を名乗る自分が想像できなかったからというのもある。
ブログ上では「Frankie(フランキー)」などという名をつけている私だけれど、リアルでは違う。
日本で生まれ育った生粋のジャパニーズである「山田花子」さんが、いきなり「ベーカー花子」とか「トンプソン雪子」などという姓に変わることを想像して欲しい。
それを自分に当てはめると、笑いが出てくるほどだ。まるでフリルのドレスを着て、下駄を履いているような気持ちになる。
誰も人の名前など頓着しないだろうから、ちょっと自意識過剰かとも思うけれど、若い頃の私は本気でそう思っていたのだ。
そんなこともあって、旧姓のままでいることにしたのだけれど、それで不自由を感じたことは一度もないので、正解だったと言ってもいいだろう。
ところが、選択できるにも関わらず、あえて面倒な手続きを踏み、夫の姓を名乗る女性が多いのも国際結婚の不思議なところだ。
特に統計を取ったわけではないから、これはあくまでも私や夫界隈での印象だけれど、圧倒的に同姓を選択する女性が多い。
私の周りの国際結婚している女性は10人いればそのうちの8割以上といってもいい女性が夫の姓を名乗っているのだ。
これはなぜだろうか?
不思議に思っても、根掘り葉掘り聞くのも失礼かと、あえて理由を尋ねたことはないけれど、なんとなく感じるのは「結婚したら夫の姓を名乗る」ことが当然であるという、既成概念によってそのような選択をしているように思えた。
私は自分の権利に関しては貪欲な方なので、選べるなら自分で選ばせて!とばかりに、煩雑な手続きを避けるため、喜んで別姓にしたけれど、それは人生の一大イベントである「結婚」に対しては、非常に安易な考えであると思われていたようだ。
みんな、真面目なのだ。。。
別姓選択制の反対意見として、「結婚に対する覚悟が薄れる」「離婚を前提としている」という意見が見られるけれど、特に私の年代、つまり20年以上前の結婚では、そんな風潮が今よりも色濃くあったのかもしれないとも感じる。
国際結婚においては、結婚に対する覚悟など、苗字以前の問題であり、どんな名を使おうがそれなりの覚悟なくしてはできるものではない。つねに面倒な問題に付きまとわれていくのだから、当然覚悟くらいはあった。
そして、離婚前提に関しても、あるデータによると、国際結婚の離婚率は50%以上というのだから、合理的に考えても、その辺を念頭に置いて選択することは間違っていない。それの何が悪いのかと思う。
とは言え、離婚ありきで結婚する人などはいない。国際結婚であろうが、日本人同士の結婚であろうが、誰もが生涯連れ添う覚悟でするものだ。
それをあえて「離婚を前提」などというのは、ちょっと失礼な話でもある。
私はこの国際結婚が初めてであり、なぜかいまだに婚姻関係を継続しているため、日本人同士の結婚による姓の選択に関してはよくわからない。
どちらかの姓を選択しなければいけないということくらいは知っているけれど、それがどれだけ大きな問題なのだろうかと、ピンとこないのだ。
いまは働く女性も多いので、いきなり結婚によって姓が変わるのは都合がよくないという人もいるのだろう。
それはなんとなくわかる気がする。職場では旧姓を名乗り、戸籍上は夫の姓という人は昔からいたものだ。
夫婦別姓を選択したい理由が便宜上というならわかるけれど、昨今はちょっと違う意見もあったりする。
女性の権利とか、男尊女卑とか、自分の姓を大切にしたいとか、なんだか飛躍してる感が否めないのだけれど、それも別姓を望む理由の一つとしてあるようだ。
ここまでくると、私はもうついていけない。。。
反対派の意見として子供についての問題がある。子供にとってはどちらかの親と姓が異なるのはよくないといった意見だ。
我が家の子供達は、現在父親とは違う姓を名乗っている。
海外で暮らしていた頃は夫の姓を名乗り、日本では私の姓(日本の苗字)を使うといった具合にその時々で選択しているのだけれど、いずれにしても父親または母親と姓が異なることになる。
しかし、それでなにか都合の悪い事態が生じたことは20年以上皆無だ。
「なぜ、お父さん(お母さん)と違う苗字なの?」
そもそもそのような偏見があること自体が問題だし、そんなことをあえて言ってくるデリカシーのない人などほとんどいない。
「家族の絆」というのも別姓反対派の意見の一つとなっているようだけれど、たかが名乗る姓が違うくらいで絆が綻ぶのなら、とうに別の理由でその家庭は崩壊しているだろう。
「戸籍制度」「家制度」という日本の独特の考え方からすれば、それとはほとんど無縁な国際結婚は比較にならないのかもしれないけれど、結局のところ誰もが「選択できる自由」があるのはよいことだと思う。
夫の姓を名乗りたいという女性も少なくないだろうし、逆に自分の姓を変えたくないという人もいる。
今回の論争は夫婦別姓にしなければいけないという強制ではなく、別姓を選択する自由が得られるということだから、それの何が問題なのかよくわからない。。。
同姓を選ぶことも、別姓を選ぶことも可能になるということなら、それが一番いいことだと私は思っている。
結婚によって姓が変わり、不便になったという人もいれば、知り合いで自分の姓が嫌いだったけれど、結婚をして夫の格好いい姓に変えられてハッピーだと言っていた人もいた。
人はそれぞれ事情を抱えて生きているものだ。
そう考えると、各々が自分の考えや生活に則した姓を選択できれば、それに越したことはないと思う。たとえそれで家庭が崩壊しても、離婚にあいなったとしても、それは自己責任。自由に責任はつきものなのだから。。。
そんなことを言いながらも、私は別にこの「選択的夫婦別姓」に賛成しているわけでも、反対しているわけでもない。
つまり、それほど大きな問題ではないと思っている。
名前など所詮はただの固有名詞だ。
姓がどうであろうが、「自分」という人間に変わりはない。
便宜上とか、日本人だから横文字姓より漢字姓といった好みで別姓を選択した身としては、正直なところ、苗字などそれほど真剣に考えてもいなかったし、その程度のことだった。
もしも、夫婦同姓にしなければいけなかったとしても、面倒くさいなとか、自分が外国の名前を名乗るなんて笑えるわ。。。などと、ブチブチ言いながらも、当たり前のように夫婦同姓としたことだろう。
私にとってはその程度のことなのだ。
しかし、ここまで問題になるということは、もしかしたら、なにか私の知らない、気づかぬ思惑が、この「選択的夫婦別姓論」に隠れているかもしれない。。。
頭のいい官僚達が、この制度を利用して、我々から更なる税金を巻き上げるカラクリを作ろうとしているのではないか⁉︎
なにか裏に黒い陰謀でも隠されているのではないか⁉︎
暇に任せてそんなことを思ったり(笑)
なにはともあれ、複雑だと思っていた国際結婚だけれど、夫婦別姓論を見ていると、日本人同士の結婚の方が大変そうである。。。