相性というものがある。
それは人と人との相性だけではなく、あらゆるものとの相性だ。
先日、お昼ご飯を食べようとある飲食店へ立ち寄った。ちょうどランチタイムとあって、店の前には席が空くのを待つ人が4人ほど列を作っていた。
この時間ならどこへ行っても待つことになるだろうからと、私もその列に並ぶことにした。
程なくして男性の店員さんが一人、店の外に出てきて人数の確認をした。
「あと10分ほどなので、座ってお待ち下さい」
店員さんが朝方の雨で濡れたベンチを指差して言った。
こんなびしょ濡れのベンチに誰が座れる?
しかし、誰もそれには言及せず、黙って立っている。
その椅子は自分の持っているティッシュペーパー丸々一つ使っても拭き切れないほど水が溜まっていたのだ。
こんな時、黙っていられない自分の性格が悲しい。。。黙っていられないがために、これまで何度のトラブルに見舞われてきたことか。。。
それでも気づいた時には口を開いていた。
「濡れていて座れません。拭いていただけますか?」
その言葉に店員さんは振り返りもせずに言ったのだった。
「それなら立って待ってて」
一瞬、何を言っているのかわからなかったのは、こんな場合ほとんどの店では「お待ちください」と椅子をきれいにしてくれるものだと思っていたからだ。
まさか、そんな事を言うはずない。
私の聞き間違えかもしれない。
すぐ前に立っていた男性に尋ねてみた。
「いまの店員さん、立って待ってろと言いました?」
「そうですね」
その男性はことなげに言った。
やはり、この店とは相性がよくない。
私はその場を離れた。
思えば、この店に入ろうとしながらも途中でやめたのはこれが初めてではなかった。
以前は、夫と訪れた時だった。やはりランチタイムで私達の前後には席を待つ人が数人待っていた。
そこで出てきた店員さんは、前に並んでいる私たちを飛び越して、後から来た常連と思しき女性グループに人数の確認をし、待ち時間を伝えていた。
しかし常連さん以外の並んで待つ人に対しては何の言葉もなかった。
ここでまた黙っていられない病気がでた。
「いま、後ろであと15分くらいと言っていましたけど、それくらいで入れます?」
私は聞いていたわよ!とばかりに尋ねてみた。
「いや、はっきりとは。。。もう少しかかるかもしれません」
「それはどういことですか?」
さらに食い下がろうとする私を一緒にいた夫が制した。
「I don't want to waste our time」
(私達の時間を無駄にしたくはない)
そう言って店を離れたのだった。
静かな物言いだったけれど、腹を立てていたのだろう。なにを血迷ったのか、その店のすぐ近くにあるランチでも諭吉さんがヒラヒラと飛んでいくようなステーキハウスに入っていった。
不愉快な気持ちを払拭するために必要な経費だそうだ。。。
こんな夫と長年一緒にいるせいだろうか、不当であると思う扱いを受けると、そこでお金を遣うのが嫌になる。
私はケチなのだ。大切なお金は自分や自分の周りの人間がハッピーになるためにしか遣いたくないと思っている。
濡れた椅子に座るのが嫌なら立って待て
そんなことを言う人のお店では1円だって落としたくはない。
勢い任せ、さらに言わせてもらうなら、そもそもお客のために用意してある椅子が濡れているのに、それを指摘されるまで気づかない気配りのなさが気に入らない。
その店は周辺のランチ相場からすれば、それほど安い店ではない。それでも立地の良さやそこそこ洒落た内装とあってか、近隣で働くいわゆる意識高い系のサラリーマンたちには人気の店だった。
この一件はその場に並んでいた人全てが目撃していたのだと思う。しかし、私以外に店を離れる者はいないようだった。
後で冷静になってみると、「おかしいのは私?説」の到来だ。
ひょっとして、私は我がままな客なのだろうか?
濡れた椅子を拭いてくれと言うのは、過剰にサービスを期待しているだろうか?
正直言って、私はサービス業というものをよく知らない。ただ、飲食店経営者の知り合いはやたらと多い。
彼らからいつも見聞きしているホスピタリティーからすれば、濡れた椅子が存在することすら罪だ。
百歩譲っても、その椅子を拭くことよりも、客を立って待たせる事を選ぶという発想自体ない。
この一件についても愚痴混じりに話したところ、「店を選べ」と言われた。きちんとした店であるなら、開店前に確認すべきところだ。とのこと。。。
しかし、それだって「彼らの店」にとっての常識だ。それが東京中の飲食店の常識とは限らない。
自分の物差しで物事を推し量っていけないのは、まさにこういうことなのだろう。
自分が間違っているとも思えないが、同じように正しいかどうかもわからない。
一つ確かなことは、あの店にはもう二度と近づかないということ。
相性が悪いのだ。ここまでくるとどんなに考え方を変えようが、もはや修復は不可能だと思える。
東京には同じような店は履いて捨てるほどある。そんな中で残る店、消える店、いずれ答えは出るだろう。