人には誰も、この出来事だけは胸に刻んでおこう、この人のことだけは生涯に忘れずにいよう、そんなことがあるものだ。
私はどちらかと言えば、悪いことこそ忘れずに心の片隅において、それを教訓に身を守ろうとしてきた。
しかし最近は歳のせいか、悪いことよりも胸ときめくような出来事こそ忘れたくないと思うようになってきた。
それは思い出すと心が暖かくなるようなことの数々。
記憶が新鮮なうちは、意識せずとも自然とそんな思い出が脳裏に浮かんくる。
それを日々反芻することが、生きることの糧になったり、心を浮き立たせたりしてくれたり、光を与えてくれる。
しかし、どんなに変わらぬ強い思いで心に留めておこうと思っても、そんな思いは次第に薄れていき、やがて鮮明だった思い出は儚くも薄ぼんやりとしていく。
そしていつしか思い出すこともやめてしまうようになるのだ。
忘却とは悪いことばかりではないのだろう。心に傷を負った時などは、反芻などしていたら傷口に塩を塗り込むようなものだ。
肉体的な痛みにしても同じ。出産の想像を絶する痛みを経験しながらも、また一人また一人と子が産めるのは、お産の痛みを忘れてしまうからだと言われている。
確かに私もお産の痛みなどとっくに忘れてしまっている。
人間とはどんなに辛いことも、時が経てば自然と忘れてしまうもので、それはある意味で人が幸せに生きるために、あらかじめ備わった一つの能力なのかもしれない。
時間が解決する。。。
悪いことを忘れたいとき、よくそんな言葉を耳するのはそのせいなのだろう。
しかし、悲しいことにこの「時間」とは悪いことだけでなく、素敵な思い出さえも忘れさせてしまう。
完全に忘れ去ることはないけれど、その時に抱いた強い思いは次第に遠のいて、あれほど感謝したり、自分にとって必要不可欠であると思っていた人も出来事も、まるで雑踏で誰かとぶつかったのと同じ程度の出来事であったと感じるようになるのだ。
特別だったものが特別でなくなり、いつしか記憶から消えていく。。。
それが寂しく感じられるのは、やはり自分が歳をとったからなのだ。
若い時は後ろなど振り向く暇もないほど、前だけを見て全力で走っているものだ。
今は前にあるものよりも、後ろにあるものの方が多くなった。
これも気の持ちようなのだと思うが、失われていく若さを日々実感して過ごしていると、大切なものが少しずつ失われていくようで寂しくなるのであった。。。